一、
「じゃあ、あとはよろしくね、岬さん」
「はい!」
元気よく答えた岬百合亜に、雪は安心して席を譲った。
僅かに視線を前に送るが、すぐ元に戻す。
ここしばらくはガミラスとの戦闘もない。ひたすらイスカンダルまでの航路を突き進むのみ。
比較的平和な艦内である。
――古代君ははまだ戻らないんだ。
もう少し遅い時間に、百合亜と交代できれば、挨拶くらいは交わせただろう。
ちらりとそんな思いが頭をかすめたが、雪はすぐに気を取り直して、百合亜に微笑んだ。
*****
「森君なら観測室じゃないかな? いなかった?」
古代は、特に意識せず自分の知る雪の行動範囲について、意見を述べたつもりでいる。
待機任務を終えた古代は、北野と任務を交代する為に第一艦橋に戻ってきた。
北野から引き継ぎについて話を聞いていると、コスモレーダー受信席の岬の元に、西条が訪れているのが見えた。
主任レーダー手である雪は、自分と入れ違いに、この第一艦橋を出て行ったのを古代は知っている。
なぜなら、先日一緒になった時に、<しばらくはシフト違いの日だね>と話していたから。
敬礼を交わして、戦闘指揮席に腰を下ろした古代は、西条の呟きをキャッチして振り向いた。
雪を探しに来たのであろう西条が、何気なくつぶやいたのだ。
「あれ? 雪さんいないなあ」と。
雪は岬と交代して、すぐに艦橋を出たはずだ。古代がここに戻ってくるルートでも会うことが無かった為、どこかで寄り道をしているのかもしれない。
他のクルーも、いつもなら特に何も思わずに聞き流していただろう。
西条の何気ない呟きに反応を返した古代の言葉に、岬は「いないですよ、たぶん」と西条の代わりに答えた。
「そうなのか? 森君とは観測室でしょっちゅう一緒になるから、てっきりそこだと思ったんだけどな」
古代の放った一言に、誰もすぐに反応せずにいる。百合亜はなぜか呆けた目でこっちを見ている。
古代は、別段返事が欲しいわけではなかったが、親切のつもりで教えたのに、宙ぶらりんになってしまった言葉を、大きな独り言にしてしまうのかと、頭を掻きたくなった。
数秒間の妙な間が開いた後、百合亜がようやく口を開いた。
「私も、以前雪さんを探していた時に、古代さんからそう教わったんですけど、あそこで会ったためしがありません」
ゆっくりとした口調だ。まるで古代を諭すかのような。
それから、ね? と岬は西条の方を見て同意を求め、西条もこくりと頷いた。
「気がつけば簡単な事なんですけどね」
そうそう、とこれまた西条は岬に同意してこくこくと頷いている。
妙な間と、百合亜の口調から、古代は彼女たちの意見に同意せざるを得なかった。
「そうだったのか。悪い。俺の思い過ごしだったのかもしれない」
岬の言葉の意味を、深くは考えずに、言葉通りに理解した古代だが、<ん?>とどこか解せない気持ちは残したままである。
いやいや、そうではないだろうよ、と心の中で突っ込んだのは、その様子をずっと見守っていた島だ。
意味ありげに古代の方を向いてニヤニヤしている。
「???」
古代は、<変なヤツ>と言いたそうな顔を、一瞬島に向けかけたが、南部からも、何か言いたそうな視線を向けられているのを知り、<なんだか変な空気だぞ>と居心地の悪さを感じ始めた。
「悪い、北野。ここ、もう少し頼む。俺は艦長室に行ってくる」
古代は、出て行きかけた北野の腕を引っ張って、戻れと促した。
「あ、古代さん……」
そして、北野の呼びかけにも構わずに、さっさと一人、先にエレベーターに乗り込んでしまった。
古代が艦橋を去った後、ふっと場の空気が和むのがクルーたちにもわかった。
皆、笑い出したい気分だったのだ。ある一人を除いて、だが。
南部の場合、その感情は少し異なるものだった。
(古代の言う通り、何度も観測室でまちぶせ、基い、彼女を待ってみたが、森君は一向に現れなかったんだ)
眼鏡を何度もかけ直し、引き攣った顔を元に戻そうとした南部の一部始終を、島は吹き出しそうになるのを我慢して見ていた。
「岬君も気が付いてたんだ?」
島が後ろを振り返って言った一言に、南部は青ざめて会話に加わった。
「森君が、観測室に向かうのは……」
「そうです。古代さんとシフトが合った時だけです。だから、今日はたぶんあそこじゃないんですよ」
「やっぱりそうだったのか!」
チクショウ!と怒鳴りたいのをなんとか自制した南部。
彼は今にも泣き崩れそうだ。
絞り出すような南部の声に、西条と岬は驚いたが、会話を続けた。
「だけど、気が付いていないのは当の古代さんと、雪さん自身もなんですよね」
「ほぉ?」
島のニヤニヤは止まらない。言葉に出さなくても、その顔に<これは面白いことになりそうだ>と書いてある。
ちょうどその時、主幹エレベーターが開き、太田が艦橋に戻ってきた。
島と交代する為に。
「お帰り、太田クン。じゃあ、あとはよろしく」
引き継ぎもそこそこに、島は立ち上がった。
(やれやれ。あの朴念仁だけかと思ったら、森君までそうなのかよ)
席から立ち上がった時に、島の心は決まっていた。
少しだけ、あの二人の背中を押してやろうと。
二、
漆黒の闇に点在する星の輝きを見ると、ほっとする。
雪は、展望室のラウンジに到着すると、真っ先にコーヒーを手にし、展望窓の外を見上げた。
岬百合亜と任務を交代した後、食堂には行かず、展望室に来た。
閉ざされた空間で、一人きりになるのは怖いが、一人になりたいときもあって
そんな時は、雪はここや観測室に行く。
少しの時間、そうやっているだけで自分が自分に戻れる気がする。
自分を持て余しはじめた、と感じると、自然と足がそちらに向かっていた。
理由はそれだけではないけれど。
気づき始めた自分の気持ちに向き合う時、やっぱりあの場所に行ってしまうのだ。
砂糖はとっくに溶けているのに、いつまでもマドラーでカップの中をかき混ぜていると、
後方で仲間の声がした。
「おっ、今日はここに居たのか」
島の声に、雪はドアの方を見た。
「島君も休憩に来たの?」
「うん。まあね。邪魔かな?」
「まさか。どうぞ」
「では、遠慮なく」
雪は、自分の隣に島を呼んだ。
展望室ラウンジには、他にも数人のクルーがいて、各々くつろいでいた。
後方のテーブルには航空隊のメンバーが二人で座っている。
島も雪にならって、コーヒーを片手に用意し、隣に並んだ。
「来たのが俺で、少しがっかりしてるだろ?」
からかうような島の問いかけに、雪は知らんふりを決め込む。
「なんのことだか、さっぱりわかんないわ」
「はたから見てると、分かりやすいくらいなんだけどなあ。ただ、あいつは女性の気持ちに鈍感だから、見てるこっちがヒヤヒヤするんだ」
具体的な名前こそ出さないが、島の言う<あいつ>は古代のことだ。
しらを切りとおすのも、島に悪い気がして、雪は曖昧に頷いた。
「森君もそう思うだろ?」
「ええと、私は、……」
雪は、あはは、と適当に笑って誤魔化したが、島はさらに「あいつは自分の感情を殺して行動するところが有って、もちろんそれは軍人として当たり前で
いいところなんだけど、時として歯痒いくらいだよ。下手すると、このまま<いいお友達>で終わってしまうよ」と言い切った。
「お友達ね……」
後ろの航空隊員を気にして、雪は声を潜めた。
「森君は、それでいいの?」
島も雪に合わせるようにして声のトーンを押さえて話す。
「なんでそんな事訊くの?」
答えに詰まった雪は、島の質問に質問で返した。それは嫌だと答える勇気が持てなかったからだ。
「だってさ」
と、つい大きな声を出しかけた島の方を、後ろの若い航空隊員がちらりと見やった。
慌てた島は、今度は雪の耳に顔を近づけた。
「古代と、森君はよく観測室でデートしてるじゃないか。観測室だけじゃなくて、格納庫だったり、此処だったり。食堂で一緒に飯食ってるのも知ってる。
俺だけじゃなくて、他のクルーにも知られた公然の事実だよ。なのに、当の君たちは気付いていないようでさ。なんで?って俺たちは不思議なわけ」
島の耳打ちに、雪は驚いて目を丸くした。
「えっ!?」と、口元を押さえて絶句したまま島を見詰めている。
「今更だよ」
「そんな、あれはデートなんかじゃないよ。私、どうしよう……」
「古代とデートしてるなんて噂は、森君にとっては迷惑なの?」
「そういう意味じゃないの。事実じゃないって言ってるだけ」
雪の困惑した表情は、島も想定外だったようだ。てっきり嬉しがるものだと思っていたから
少しだけ背中を押すつもりだったのだ。
「……思ったより天然なんだな、君たち」
「私も?」
「うん。古代と同等かもしれないよ」
「嘘でしょ」
「似ているところがある。まっすぐ正直なところとか。まあ、お似合いだってことさ」
「もう! 島君たら、からかって楽しんでいるんでしょ?」
「お、怒った顔も可愛いねえ、森君」
雪が、頬を膨らませて島に手を上げる振りをしたので、島は、大袈裟すぎるほど肩を竦ませた。
冗談半分、残り半分の気持ちは案外本気だったかもしれない。
「古代のヤツ、こんなこと言わないだろうなあ」
「あの人は、そんなこと言いません!」
あははは、と島は声を立てて笑った。『俺なら言うけどなあ』と喉まで出かけた言葉を慌てて飲みこんだ。
親友の背中を押すつもりが、自分が口説き文句を言いそうになるなんて。
<自分が古代なら、たぶん迷わず言うのにな>
だけど、そこが古代の古代らしいところなんだ、と島は考えた。
「古代は、言葉に出すタイプじゃないから、わかりにくいかもしれないけど、愛想尽かさないでいてやってくれよな」
神妙な面持ちで島は親友を語った。
「……」
雪は、そんな島に、どう答えるべきかわからなくて無言で微笑むだけだった。
二人の後方の席に座っていたのは、沢村と小橋の若い二人組だ。
二人は、前方で並ぶ雪と島の近い距離にただならぬ雰囲気を感じ、あれ?と首を捻っていた。
「船務長は、戦術長と仲良いんじゃなかったっけ?」
「そうだと思ってたけど、航海長ともいい雰囲気じゃないか? 落ち着いてて、大人同士って感じだし」
「古代さんは、女の子のエスコートとか得意じゃなさそうだもんな」
「お前が言うなよ、小橋」
航空隊の若い二人は、島達には聴こえないくらいの小声で笑い合っていた。
****
噂の出所が、沢村か小橋のどちらかであるのは明白だ。
<森船務長は、戦術長から航海長へ舵を取り直したのか>とか
<戦術長のはっきりしない戦術に、雪が愛想を尽かせたのか>だとか。
他愛もないような噂レベルのものだ。
若手から加藤隊長へ。そして加藤から真琴に伝わると、瞬く間に噂は広まった。
くだらない噂話は、毎日人の口に乗り、やがて消えて行く運命なのだが、
この噂は、そうではなかった。
古代に対する最近の雪の態度を見ていると、信憑性があるのではないかと野次馬たちは思ってしまうのだ。
たとえば、今日の昼食時の食堂で。
「あれ? 雪さん、最近古代さんと一緒じゃないですね?」
岬百合亜は何気なく訊いたつもりだったが、雪は、「約束していたわけじゃないし、何も変わってないわよ?」 と怪訝そうに眉を顰めた。
トレーに今日の定食を乗せた二人が、古代が座る席を通り過ぎる。食堂は混雑していたが、雪が古代に、古代が雪に気付かないはずはない。
「いいんですか? 今日は古代さんお一人ですよ? 」
「約束してないし、別にいいの」
百合亜の言葉には、<誘うなら、絶好のチャンス>という含みがある。
雪ももちろんそれを感じ取っていたが、あえて同じ言葉を繰り返した。
「はぁ……」
取りつく島もなさそうな雪に、それ以上言えるわけもなく、百合亜は乾いた笑みを顔に貼りつけるだけだ。
百合亜は、雪に気付かれない程度に、古代の様子を伺ってみたが、古代もさして気に留める様子もなく、スープを口に運んでいた。
雪は、煮え切らない古代に対して腹を立てているわけではない。
ましてや、駆け引きのようなことをするつもりもない。
自分の恋心に、当の古代が気づいていないのに、他人が知っていることを恥ずかしく思い、
どうしていいのかわからないのだ。
こうなってしまえば、今更だという気がしないでもないが、
このまま自分の気持ちを曝け出す様な真似はできない、と消極的になってしまった。
今まで、自然に振る舞っていた自分の気持ちに蓋をしようとしたのだ。
その結果、シフトが合った時は必ず落ち合った観測室にも行かなくなったし
食堂でもわざと席を離して座るようになった。
雪と百合亜の後姿を、古代は目で追っていた。
古代は、噂を知らないし、雪が自分に言葉を掛けずに通り過ぎるのを変だなとは思いながらも
自分から誘うことはせずに、彼女を見送っていた。
「じゃあ、あとはよろしくね、岬さん」
「はい!」
元気よく答えた岬百合亜に、雪は安心して席を譲った。
僅かに視線を前に送るが、すぐ元に戻す。
ここしばらくはガミラスとの戦闘もない。ひたすらイスカンダルまでの航路を突き進むのみ。
比較的平和な艦内である。
――古代君ははまだ戻らないんだ。
もう少し遅い時間に、百合亜と交代できれば、挨拶くらいは交わせただろう。
ちらりとそんな思いが頭をかすめたが、雪はすぐに気を取り直して、百合亜に微笑んだ。
*****
「森君なら観測室じゃないかな? いなかった?」
古代は、特に意識せず自分の知る雪の行動範囲について、意見を述べたつもりでいる。
待機任務を終えた古代は、北野と任務を交代する為に第一艦橋に戻ってきた。
北野から引き継ぎについて話を聞いていると、コスモレーダー受信席の岬の元に、西条が訪れているのが見えた。
主任レーダー手である雪は、自分と入れ違いに、この第一艦橋を出て行ったのを古代は知っている。
なぜなら、先日一緒になった時に、<しばらくはシフト違いの日だね>と話していたから。
敬礼を交わして、戦闘指揮席に腰を下ろした古代は、西条の呟きをキャッチして振り向いた。
雪を探しに来たのであろう西条が、何気なくつぶやいたのだ。
「あれ? 雪さんいないなあ」と。
雪は岬と交代して、すぐに艦橋を出たはずだ。古代がここに戻ってくるルートでも会うことが無かった為、どこかで寄り道をしているのかもしれない。
他のクルーも、いつもなら特に何も思わずに聞き流していただろう。
西条の何気ない呟きに反応を返した古代の言葉に、岬は「いないですよ、たぶん」と西条の代わりに答えた。
「そうなのか? 森君とは観測室でしょっちゅう一緒になるから、てっきりそこだと思ったんだけどな」
古代の放った一言に、誰もすぐに反応せずにいる。百合亜はなぜか呆けた目でこっちを見ている。
古代は、別段返事が欲しいわけではなかったが、親切のつもりで教えたのに、宙ぶらりんになってしまった言葉を、大きな独り言にしてしまうのかと、頭を掻きたくなった。
数秒間の妙な間が開いた後、百合亜がようやく口を開いた。
「私も、以前雪さんを探していた時に、古代さんからそう教わったんですけど、あそこで会ったためしがありません」
ゆっくりとした口調だ。まるで古代を諭すかのような。
それから、ね? と岬は西条の方を見て同意を求め、西条もこくりと頷いた。
「気がつけば簡単な事なんですけどね」
そうそう、とこれまた西条は岬に同意してこくこくと頷いている。
妙な間と、百合亜の口調から、古代は彼女たちの意見に同意せざるを得なかった。
「そうだったのか。悪い。俺の思い過ごしだったのかもしれない」
岬の言葉の意味を、深くは考えずに、言葉通りに理解した古代だが、<ん?>とどこか解せない気持ちは残したままである。
いやいや、そうではないだろうよ、と心の中で突っ込んだのは、その様子をずっと見守っていた島だ。
意味ありげに古代の方を向いてニヤニヤしている。
「???」
古代は、<変なヤツ>と言いたそうな顔を、一瞬島に向けかけたが、南部からも、何か言いたそうな視線を向けられているのを知り、<なんだか変な空気だぞ>と居心地の悪さを感じ始めた。
「悪い、北野。ここ、もう少し頼む。俺は艦長室に行ってくる」
古代は、出て行きかけた北野の腕を引っ張って、戻れと促した。
「あ、古代さん……」
そして、北野の呼びかけにも構わずに、さっさと一人、先にエレベーターに乗り込んでしまった。
古代が艦橋を去った後、ふっと場の空気が和むのがクルーたちにもわかった。
皆、笑い出したい気分だったのだ。ある一人を除いて、だが。
南部の場合、その感情は少し異なるものだった。
(古代の言う通り、何度も観測室でまちぶせ、基い、彼女を待ってみたが、森君は一向に現れなかったんだ)
眼鏡を何度もかけ直し、引き攣った顔を元に戻そうとした南部の一部始終を、島は吹き出しそうになるのを我慢して見ていた。
「岬君も気が付いてたんだ?」
島が後ろを振り返って言った一言に、南部は青ざめて会話に加わった。
「森君が、観測室に向かうのは……」
「そうです。古代さんとシフトが合った時だけです。だから、今日はたぶんあそこじゃないんですよ」
「やっぱりそうだったのか!」
チクショウ!と怒鳴りたいのをなんとか自制した南部。
彼は今にも泣き崩れそうだ。
絞り出すような南部の声に、西条と岬は驚いたが、会話を続けた。
「だけど、気が付いていないのは当の古代さんと、雪さん自身もなんですよね」
「ほぉ?」
島のニヤニヤは止まらない。言葉に出さなくても、その顔に<これは面白いことになりそうだ>と書いてある。
ちょうどその時、主幹エレベーターが開き、太田が艦橋に戻ってきた。
島と交代する為に。
「お帰り、太田クン。じゃあ、あとはよろしく」
引き継ぎもそこそこに、島は立ち上がった。
(やれやれ。あの朴念仁だけかと思ったら、森君までそうなのかよ)
席から立ち上がった時に、島の心は決まっていた。
少しだけ、あの二人の背中を押してやろうと。
二、
漆黒の闇に点在する星の輝きを見ると、ほっとする。
雪は、展望室のラウンジに到着すると、真っ先にコーヒーを手にし、展望窓の外を見上げた。
岬百合亜と任務を交代した後、食堂には行かず、展望室に来た。
閉ざされた空間で、一人きりになるのは怖いが、一人になりたいときもあって
そんな時は、雪はここや観測室に行く。
少しの時間、そうやっているだけで自分が自分に戻れる気がする。
自分を持て余しはじめた、と感じると、自然と足がそちらに向かっていた。
理由はそれだけではないけれど。
気づき始めた自分の気持ちに向き合う時、やっぱりあの場所に行ってしまうのだ。
砂糖はとっくに溶けているのに、いつまでもマドラーでカップの中をかき混ぜていると、
後方で仲間の声がした。
「おっ、今日はここに居たのか」
島の声に、雪はドアの方を見た。
「島君も休憩に来たの?」
「うん。まあね。邪魔かな?」
「まさか。どうぞ」
「では、遠慮なく」
雪は、自分の隣に島を呼んだ。
展望室ラウンジには、他にも数人のクルーがいて、各々くつろいでいた。
後方のテーブルには航空隊のメンバーが二人で座っている。
島も雪にならって、コーヒーを片手に用意し、隣に並んだ。
「来たのが俺で、少しがっかりしてるだろ?」
からかうような島の問いかけに、雪は知らんふりを決め込む。
「なんのことだか、さっぱりわかんないわ」
「はたから見てると、分かりやすいくらいなんだけどなあ。ただ、あいつは女性の気持ちに鈍感だから、見てるこっちがヒヤヒヤするんだ」
具体的な名前こそ出さないが、島の言う<あいつ>は古代のことだ。
しらを切りとおすのも、島に悪い気がして、雪は曖昧に頷いた。
「森君もそう思うだろ?」
「ええと、私は、……」
雪は、あはは、と適当に笑って誤魔化したが、島はさらに「あいつは自分の感情を殺して行動するところが有って、もちろんそれは軍人として当たり前で
いいところなんだけど、時として歯痒いくらいだよ。下手すると、このまま<いいお友達>で終わってしまうよ」と言い切った。
「お友達ね……」
後ろの航空隊員を気にして、雪は声を潜めた。
「森君は、それでいいの?」
島も雪に合わせるようにして声のトーンを押さえて話す。
「なんでそんな事訊くの?」
答えに詰まった雪は、島の質問に質問で返した。それは嫌だと答える勇気が持てなかったからだ。
「だってさ」
と、つい大きな声を出しかけた島の方を、後ろの若い航空隊員がちらりと見やった。
慌てた島は、今度は雪の耳に顔を近づけた。
「古代と、森君はよく観測室でデートしてるじゃないか。観測室だけじゃなくて、格納庫だったり、此処だったり。食堂で一緒に飯食ってるのも知ってる。
俺だけじゃなくて、他のクルーにも知られた公然の事実だよ。なのに、当の君たちは気付いていないようでさ。なんで?って俺たちは不思議なわけ」
島の耳打ちに、雪は驚いて目を丸くした。
「えっ!?」と、口元を押さえて絶句したまま島を見詰めている。
「今更だよ」
「そんな、あれはデートなんかじゃないよ。私、どうしよう……」
「古代とデートしてるなんて噂は、森君にとっては迷惑なの?」
「そういう意味じゃないの。事実じゃないって言ってるだけ」
雪の困惑した表情は、島も想定外だったようだ。てっきり嬉しがるものだと思っていたから
少しだけ背中を押すつもりだったのだ。
「……思ったより天然なんだな、君たち」
「私も?」
「うん。古代と同等かもしれないよ」
「嘘でしょ」
「似ているところがある。まっすぐ正直なところとか。まあ、お似合いだってことさ」
「もう! 島君たら、からかって楽しんでいるんでしょ?」
「お、怒った顔も可愛いねえ、森君」
雪が、頬を膨らませて島に手を上げる振りをしたので、島は、大袈裟すぎるほど肩を竦ませた。
冗談半分、残り半分の気持ちは案外本気だったかもしれない。
「古代のヤツ、こんなこと言わないだろうなあ」
「あの人は、そんなこと言いません!」
あははは、と島は声を立てて笑った。『俺なら言うけどなあ』と喉まで出かけた言葉を慌てて飲みこんだ。
親友の背中を押すつもりが、自分が口説き文句を言いそうになるなんて。
<自分が古代なら、たぶん迷わず言うのにな>
だけど、そこが古代の古代らしいところなんだ、と島は考えた。
「古代は、言葉に出すタイプじゃないから、わかりにくいかもしれないけど、愛想尽かさないでいてやってくれよな」
神妙な面持ちで島は親友を語った。
「……」
雪は、そんな島に、どう答えるべきかわからなくて無言で微笑むだけだった。
二人の後方の席に座っていたのは、沢村と小橋の若い二人組だ。
二人は、前方で並ぶ雪と島の近い距離にただならぬ雰囲気を感じ、あれ?と首を捻っていた。
「船務長は、戦術長と仲良いんじゃなかったっけ?」
「そうだと思ってたけど、航海長ともいい雰囲気じゃないか? 落ち着いてて、大人同士って感じだし」
「古代さんは、女の子のエスコートとか得意じゃなさそうだもんな」
「お前が言うなよ、小橋」
航空隊の若い二人は、島達には聴こえないくらいの小声で笑い合っていた。
****
噂の出所が、沢村か小橋のどちらかであるのは明白だ。
<森船務長は、戦術長から航海長へ舵を取り直したのか>とか
<戦術長のはっきりしない戦術に、雪が愛想を尽かせたのか>だとか。
他愛もないような噂レベルのものだ。
若手から加藤隊長へ。そして加藤から真琴に伝わると、瞬く間に噂は広まった。
くだらない噂話は、毎日人の口に乗り、やがて消えて行く運命なのだが、
この噂は、そうではなかった。
古代に対する最近の雪の態度を見ていると、信憑性があるのではないかと野次馬たちは思ってしまうのだ。
たとえば、今日の昼食時の食堂で。
「あれ? 雪さん、最近古代さんと一緒じゃないですね?」
岬百合亜は何気なく訊いたつもりだったが、雪は、「約束していたわけじゃないし、何も変わってないわよ?」 と怪訝そうに眉を顰めた。
トレーに今日の定食を乗せた二人が、古代が座る席を通り過ぎる。食堂は混雑していたが、雪が古代に、古代が雪に気付かないはずはない。
「いいんですか? 今日は古代さんお一人ですよ? 」
「約束してないし、別にいいの」
百合亜の言葉には、<誘うなら、絶好のチャンス>という含みがある。
雪ももちろんそれを感じ取っていたが、あえて同じ言葉を繰り返した。
「はぁ……」
取りつく島もなさそうな雪に、それ以上言えるわけもなく、百合亜は乾いた笑みを顔に貼りつけるだけだ。
百合亜は、雪に気付かれない程度に、古代の様子を伺ってみたが、古代もさして気に留める様子もなく、スープを口に運んでいた。
雪は、煮え切らない古代に対して腹を立てているわけではない。
ましてや、駆け引きのようなことをするつもりもない。
自分の恋心に、当の古代が気づいていないのに、他人が知っていることを恥ずかしく思い、
どうしていいのかわからないのだ。
こうなってしまえば、今更だという気がしないでもないが、
このまま自分の気持ちを曝け出す様な真似はできない、と消極的になってしまった。
今まで、自然に振る舞っていた自分の気持ちに蓋をしようとしたのだ。
その結果、シフトが合った時は必ず落ち合った観測室にも行かなくなったし
食堂でもわざと席を離して座るようになった。
雪と百合亜の後姿を、古代は目で追っていた。
古代は、噂を知らないし、雪が自分に言葉を掛けずに通り過ぎるのを変だなとは思いながらも
自分から誘うことはせずに、彼女を見送っていた。
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プロフィール

管理人 ひがしのひとみ
ヤマト2199に30数年ぶりにド嵌りしました。ほとんど古代くんと雪のSSです
こちらは宇宙戦艦ヤマト2199のファンサイトです。関係各社さまとは一切関係ございません。扱っているものはすべて個人の妄想による二次作品です。この意味がご理解いただける方のみ、お楽しみください。
また当サイトにある作品は、頂いたものも含めてすべて持ち出し禁止です。
また当サイトにある作品は、頂いたものも含めてすべて持ち出し禁止です。