彼の人は、両手を広げて彼女を抱きとめた。

視界に入った二人の姿に、部外者の私は動揺したのだろうか。
あの時チクっと心に刺さったトゲは、消えてしまったように思えるけれど
時々、チクリと痛む。

私は……、私も、両手を広げていいのかな。



「Open Arms」

Side Yuki


コツコツコツ……。
ドアの前で止まった足音は、想像していた彼の音とは違った。
観測室に居た私が振り返るのと同時に、その人は入ってきた。
ドアが開く音も、波動エンジンの音も、今夜は無機質に感じられた。
新見さんだった。
私がここに居ることを、知っていた様だ。
「お疲れ様」
「お疲れ様……です」

緩めようとしていた気持ちの糸を、私は再びきゅっとキツく縛り直す。
新見さんは、私の警戒心に気付きながらも、自分はまったく動じない。
彼女は、片手に持ったコーヒーを私に差し出してこう言った。

「コーヒーどうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
戸惑いながらも、それを受け取って、ついカップの中を覗き込んだ。彼女の意図を知りたかったからだ。
「変なものは入ってないわよ? ただの差し入れ」
「いえ、そういうつもりじゃ……」

古代君とは、待ち合わせをしているわけではなかった。
今夜は、シフトの関係で、この時間ここで逢える確率が高かっただけ。
そして彼は来なかっただけ。
がっかりしている自分を知られるのも嫌だったし、新見さんがプライベートな用件で、私を探していた、という事実にも警戒心が働いたせいだ。
中途半端な緊張は、相手を優位に立たせてしまうことを、私はよく知っているつもりだ。

「私に、何か御用ですか?」
声に、言葉に出てしまっている、と知りながら、それでも構わない。
「わざわざ、私を探して来られたのですよね?」
語尾に僅かに力を込めた。
もうカップの中を覗き込む振りはしない、と私は彼女の目をまっすぐに見ていた。


私の足りない何かを、彼女は示そうというのか。自分自身も知り得ない心の奥を。









「あなたの経歴、変わってるわね。噂によると、誰かの強いプッシュがあったから、あなたはヤマトに乗り込んだそうね」
「どんな噂か知りませんけど、気にしてません」
彼女の言葉を断ち切って、私は、もう用のないここを離れようとした。コーヒーなんて飲むものか。
口をつけずにいたマグカップをちらりと見やった新見さんは、私の腕を取った。
「事故以降の記憶しかないのに、あなたは頑張りすぎている。何があなたを突き動かしているの?」
「それは、単純に興味本位で訊いていらっしゃるのですか?」
しつこいな。本音が出そうになったけれど、眉間に皺を寄せて負の感情を露わにした。

「そうじゃない。あなた、利用されているんじゃないかと思ったの」
新見さんは、口元には笑みを浮かべているのに、眼鏡の奥の目は笑っていない。
冷たい目で私を射た。
目を背けては、私は彼女の言うところの誰かの企みに利用されていると肯定することになる。
心臓は、怒りと得体の知れない恐怖で早鐘をうつ。

「利用されてる? 私が? 誰にされてるって言うの?」

思わず声を荒げてしまうところだった。
辛うじて冷静さを取り戻して、私は咳払いをする。
「土方宙将。あの方はどんな方? あなた、あの人との思い出はある?」
ストレートな訊き方に私は引っ込みがつかなくなった。
「利用だなんて、そんな。あの方は私の恩人です。今は後見人となってくださっています」
「記憶を失くしたひよっこに、ありもしない記憶を植え付けた。そう考えられなくもない」
「あの方と私を侮辱して、何が面白いの?」

もはや、彼女のペースに引き込まれている。
軌道修正なんて私には出来っこない。彼女の意のまま、流される振りをして怒って出て行けば収束する。私はそう考えた。



私は、失礼しますと、観測室から出て行くつもりだった。
けれど、新見さんは私の背に、言葉を被せてきた。
何が何でも私に認めさせたいわけだ。

「あなたは自分の居場所を探している。そこに土方宙将は付け込んだ。違う?
あなたは、私達の知らない別の命を、土方宙将から受けているんじゃない?」

「この航海の成功を。それだけです。他には何も」
怒りを持続させる振りは失敗に終わりそうだ。彼女の意図がわからない。私の何を探りたいんだろう。
過去? 記憶のない私に何を話させようというのか。


「あなたはいつかぽきりと折れてしまわないかと心配なだけ」
新見さんは、ぐるりと回りこんで、私に対峙した。ドアの外に出て行かせない、との意思表示だと、私は受け取った。
「ご心配なく。私は心身ともに健康です」
「そう突っ張らないの。誰でも辛い時期はあるし、それは何も悪いことじゃない。要はそれとどう向き合うかよ。
私なら、あなたの悩みを聴いてあげられるわ。同性だし、私は、人の悩みを聴くのが得意なの。
それとも、私以外に誰か相談できる人がいる? そうなら、別に私は必要ないけど」

彼女の言葉に導かれて、私は古代君の顔を頭に浮かべた。はっきりと彼の輪郭を反芻しようとしたそばから、それは消えていってしまう。
それから思い出したのは、彼が赤道祭の際、山本さんに対して、広げた両手だった。


「古代一尉? 彼と親しくしているようだけど?」
「古代一尉は、親切な人ですが、特に親しいわけではありません。それに私が誰と親しくしようと、新見さんには関係ありません。
ついでに言うなら、たとえ相談したいことがあったって、あなたにしようなんて思わない」
私は、思い切り不快感を露わにしてやろうと、眉間にたっぷり皺をよせた。
「そう。そうね。彼は親切だわ。彼ならいいのかも」
「あの……、お話しすることはもうないので、私はこれで失礼します」
私の言葉に、新見さんは通せんぼすることはなく、私に進路を開けてくれた。
そこには意地悪な笑みを浮かべた彼女はいなかった。
顔をわずかに歪めた新見さんは、けれどすぐに俯き加減だった視線を私に戻した。

「不穏な動きを知っている? あなたが知り得る事実を、全て私に話して欲しい」

なんのことだろうと訊きかえしたいと思ったけれど、これ以上彼女に関わりたくない。
「失礼します」

彼女の言うところの疑惑が、まさか私の出自だったなんて、この時は思いもよらなかった。

私がドアの外に出て行くまで、彼女はじっと私を見ていた。
挨拶をするわけでもなく、彼女は私を見送っていた。

エレベーターで降りながら、詰めていた息を吐いた。はぁっと小さく溜息のように。
幸い誰も乗りあわせることなく、カゴは居住区がある階下へと降りて行った。

心にできてしまった黒い小さな染みを、私は見ないように振る舞ってきた。いつか消えてなくなってしまえばいいと願っていた。
言いようのない不安。染みが心のほとんどを侵食してしまうのではないかという恐れ。
この時点で、私はうすうす気づいていたのかもしれない。





*****

「おやおや?  船務長の身辺調査は僕の担当ですよ? あなたのターゲットはてっきり航海長だとばかり思っていましたが」
「伊東くん。 あなた趣味わるい。私の後をつけまわしてるの?」
伊東が薄ら笑いを浮かべて、観測室のドアの外に立っていた。
新見は、面白くなさそうに伊藤を睨み付けた。しかし伊東は、そんな新見の態度も可笑しいといわんばかりに、にいっと口の端を上げた。
「あなたじゃないですよ。船務長のことを調べているんです。あなたは、余計な事はしなくていい。中途半端な親切心なんてださないでもらいたい」
「余計な事? あなたに命令される謂われはない。私は、ただ気になって」
「それならば尚の事、ちょろちょろしないでいただきます。僕が確実な証拠を得るまではね」
新見の真剣な顔つきに、伊東は何か確信を得た様子で、そう言い放った。



保安部が主体となって反乱を起こし、雪のイスカンダル人疑惑を本人に付きつけたのは、それから間もなくのことだった。





つづく


2016 0908  hitomi higasino






スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

拍手