イスカンダルへの航海から帰還後、しばらく土方家に身を寄せていた雪は
年が明けてすぐに、独り暮らしの部屋への引っ越し作業に追われていた。
身の回りの物だけのはずが、ダンボール箱にたっぷり二十箱。
家具も新しく揃えることにしたので、それは別便で届く予定だ。
「古代君、これって独り暮らしに必要?」
「要らないんじゃない? 足りなくなったら俺のを、半分持っていくよ」
「じゃあ、こっちは?」
「それも当分は不要だと思うな。雪、一人で使いこなせないだろ? 必要になったら、俺が」
黙々とダンボールを運ぶ土方と、古代の目が合った。
「いや、どうだろうなー(棒読み)」古代はあさっての方に向き、乾いた笑い声で誤魔化していた。

休みの合間を縫って、土方と夫人が手伝っていたのだが、途中から古代も加わるようになると
二人のまるで新婚夫婦のようなやりとりに、土方夫妻が中てられてしまい、夫人が、足りないもの
があると言って、渋る夫を買い物に連れ出してしまった。

「ふぅ。これで大体の荷物は片したの?」
「自室のものはほとんど。あとは、ベッドとかテーブルは配送される予定よ」
力仕事は古代君、よろしくね。
雪のウィンクに、古代は頷いた。
額にうっすら髪と汗を掻き、ポニーテールを揺らして忙しなく動き回る雪を、古代は愛おしそうに見つめていう。
「独り暮らしなのに、なんでこんなに荷物多いんだよ」
「女の子はこれくらい必要なの。古代君の引っ越しの時もこれくらい必要なんじゃないの?」
「まさか! これの半分以下だよ。きっと」
「古代君の部屋って、本当に何もないのね?」
ダンボールに、衣類、食器、などと書いた紙を張り付ける雪に、古代は何気なく呟いたつもりだった。
「兄さんの私物もほとんど残ってなかったんだ。戦艦乗りだからってここまで始末してたのかってくらい」
古代のその言葉に、雪の手がハタと止まった。
「嫌。古代君の部屋が、そんなに寂しいのは嫌だわ」
「ごめん、こんなこと言うつもりじゃなかった。だけど男の独り暮らしってこんなもんだよ」
雪は、満杯になったダンボールの蓋をガムテームで封をする。
落としていた視線を戻して古代を見た。彼は少し寂しそうに
そして雪を励ますように優しく微笑んでいた。

ジーンズの尻ポケットの携帯が鳴る。
「救援を頼んでおいたんだ。島からだよ。もしもし?」
古代は雪から離れて、島と話し始めた。
荷物のほとんどは詰め終わった。口の開いたダンボール箱を、雪はぼんやりと眺めていた。





*****

『身辺整理よね』
昼の休憩中に、それは雪の耳に入ってきた噂話の一つに過ぎないはずだった。

年が明けて初出勤のその日。
『コダイさんが』

古代、という名の響きに反応して、隣のテーブルの女性職員の話に聞き耳を立てたのだ。
断片的にしか聞こえてこなくて、話の全部を理解できたわけではなかったが。
『作戦前に荷物も少なく綺麗に身辺整理しておくってことらしいわね』
『だからか。あの人振られちゃったんだってね。付き合い長そうだったけど』
『コダイさん、優しいもんね。待っててって言えなかったんだよ、きっと』
雪は、それ以上聞いていられなくなって、昼食もそこそこに切り上げてしまったのだった。


もう一週間になるというのに、雪はそれが事実なのか古代に直接確かめられないでいる。
その勇気がなかった。
全部を聞いたわけではない。それも聞き間違っただけなのかもしれない。

古代に長く付き合った恋人がいた。
ヤマトに乗り込むことで、相手と別れた。

彼の過去をどうこう言うつもりはないし、事実だったとしても受け入れる心づもりだ。
だけど、どうしてなのか腑に落ちない。

あの古代が、必ず地球に帰ってくると言っていた彼が、恋人を待たせていないなんて。
彼はそんなに薄情ではないはずだ。それは自分が一番よく知っている。
だったらどうして?
ひょっとして、自分に対してもそんなに強い愛情を持っていないのではないか……

もしかして、彼女がまだ彼を想い続けていたら?
自分はそれを確かめたところでどうするつもりなのだ?
自分の過去さえ、はっきりしないのに。

「……き、雪?」
「あ、ごめん。何?」
「島が、先に向こうで待ってる。岬くんと西条くんも手伝うってさ。
二人とも雪と同じマンションでルームシェアしてるからって。知ってた?」
雪は、ダンボールの同じところに何度もテープを巻き付けて、ぼーっとしているように見えた。
「どうしたの? 疲れた?」
朝から働きづめで疲れたのだろう、と古代が思うのも当然だった。

言おうか言うまいか迷った末に、雪は切り出した。
「古代君って、私と出会う前に、誰かと付き合ってたことあるの?」
「えっ!? 何だよ、唐突に」
古代は、腕まくりしかけていた袖を折るのを止めて、呆けた顔を雪に向けた。
「食堂で女の子が噂してたの。古代君、優しいから相手を振ったんだって」
「はあ? 何だよそれ?」
「……知らないわ。私には無関係な話だもん」
「もしかして、妬いてる?」
「知らないっ!」
「お、おいっ、雪、まさか本気で心配してるのか?」
焼きもちを妬く彼女が可愛いくて、ついからかってしまった古代だが、
彼女の目にうっすらと光るものを見て、思いを改めた。
「雪?」
「……」
古代の呼びかけにも答えず、顔は背けたままだ。
「雪が心配するような付き合いじゃなかったよ」
彼女の肩を抱き寄せた。雪は抵抗せずに古代の腕に抱かれて答えを聞いた。
「好きだったの?」
「う、その時はそうだと思ってた。今思えばまだガキだったよな」
額にかかる前髪を払い、彼女の頬を両手で包み込むと、雪はやっと視線を合わせた。
「今は? 私とはどうなの?」
彼女の瞳は、まだ不安で揺れていた。
「好きだからこうしてる」
(これでもまだ聞きたい?)
彼の目はそう訴えかける。
「古代君」
「何を聞いたか知らないけど、今の俺は雪しか見えてないし、雪との未来しか思い描けない」
「うん」
「話せないことは一つもない。雪が聞きたいならなんだって話す」
「……ごめんなさい、つまらないこと聞いて。気にしないでね」
古代の真摯な態度に比べ、雪は自分の嫉妬を恥じて謝った。
「雪は謝ることないよ。君が不安にならないようにしたいんだ。だから」
「ううん、いいの。もう大丈夫! きっと幸せすぎて心配になっちゃっただけだと思う」
「そっか。だけど、心配事があったら何でも相談して。俺に出来ることなら何だってするよ」
「ありがと」
彼から額にキスを落とされて、雪はにっこり笑った。
「さてと。もうひと踏ん張りしちゃおうか!」

残りのダンボールに封をし、てきぱきと片付ける彼女の姿に、古代は改めて誓うのだった。
まずは二人とも自立しなければならない。周りに認めてもらって初めて一人前だと胸が張れるというものだ。
土方にうんと言わせてからでないと、雪と簡単に将来の約束もできない。
古代は先日、土方から言い渡された<一年間プロポーズ禁止>を忠実に守る決意だった。
だから、自分がしっかりしなければ、と。








*****


何もなかった1LDKの部屋が、運び込まれた荷物で一杯になった。
先に同じマンションに住んでいた岬と西条が手伝いに来てくれたおかげで
詰まれていた箱は、どんどん荷解かれて少なくなっていく。
昼の休憩を済ませると、タイミングよく家具が運ばれてきて、島と古代の二人で組み立て始めた。

「きゃっ、これってダブルじゃないんですねー」
「ハイ?」
ダイニングでテーブルと格闘している雪は、寝室から顔だけ覗かせている岬に、何のことかわからない
といった顔を向けた。
「二人だと狭いかもですよ?」
何事かと思えば、組み立てあがったばかりのベッドの事を岬は言いたいようだ。
雪はだんまりを決め込んで、聞こえなかったことにした。
「そうそう。セミダブルだと狭くて、北野君が」
椅子の包装を解いていた西条までが話に加わると、男二人がその場にいるのも構わずに
ガールズトークに花が咲く。
「古代さんはスリムだから大丈夫かも?」
「古代さんの部屋ではどうですか?」
いきなりそう振られても、古代は全く何の事だか理解できていない。
「え? 何? ベッドのサイズを聞いて何かわかるの?」
岬と西条の誘導尋問にも素直に答えてしまいそうな古代に、雪は大慌てでその会話を遮った。
「古代君!!そっち早く組み立ててね! 布団も届くから」
「組み立ては終わったよ。雪、こっち来て座ってみる?」
名前を呼ばれた古代は、雪に呑気な返事をする。
島はやってられないとでも言いた気に、苦笑いを浮かべて雪と入れ違いに寝室を出た。
雪は古代の横に座り、バウンドを繰り返してスプリングの状態を確かめている。
「これくらい硬いマットの方が、腰にもいいよね」
「少しくらい暴れても、これだと平気だな」
「私は寝相はいいのよ!」
「俺の話だよ。ストレッチしたり腹筋したりするから」
「古代君が? 私のベッドで??」
「あっ、いやっ!! 自分に置き換えただけで! 変な意味はないよっ、ほんとっ!!」


寝室から聞こえてくる二人の会話に、島はハァっと溜息を吐いた。
「きゃ~~。お布団も届くんだ! 枕は二つかな??」
「百合亜ちゃん、はしゃぎ過ぎ。あの二人、全く聞こえてないよ? すっかり二人の世界に浸っちゃってる」
西条が指さす寝室には、真新しいベッドに二人で腰かけていちゃつく古代と雪の姿が見えた。
「くそ。腹立つから太田も呼ぶぞ。ああ、岬君、加藤夫妻も呼んじゃえば? ここから近いんだろ、加藤んち
太田に買い物して来い、とメールしてと」
島は、キッチンで食器や鍋を洗い始めていた。
この部屋の主とその恋人は、ごめんと言いながら、そんなに悪びれた様子もなくダイニングに戻ってきた。



電話で呼び出された太田は、島に言われた通りどこで手に入れたのか、大量の冷凍食品を買い込んで
雪の部屋にたどり着いた。真琴は留守の加藤を伴わずに一升瓶を抱えてやってきた。
「真琴さん!! そんな重いもの持っちゃダメじゃない! 私が持つから」
「大丈夫。カートに入れて運んできたの。私とサブちゃんから雪さんへの引っ越し祝いよ」
ラベルには『美伊』とあるから、佐渡から譲られたものだろうか。
「お邪魔しまーす」
目立ち始めたお腹をさすりながら入ってきた真琴は、一升瓶を預けた雪の肩をぐいっと掴んだ。
「雪さん? どうかした?」
「どうかって? 私が?」
ポニーテール姿が珍しいからだろうかと、雪は<これのこと?>と自分の頭を指さして真琴に聞き返した。
「違う違う。また肩から背中にかけてガチガチになってるでしょ? 雪さん」
言われてみればそうかもしれない。
「今日は朝から力仕事が多かったから、肩凝っちゃってるかも」
雪は、肩に手をやって二、三度大きく回してみた。思わずふーっと溜息が出たところをみると
相当疲れが溜まっているらしかった。
「……雪さん、あとで説教かましちゃうから」
「あのね、これは単なる筋肉痛みたいなもんで」
「んなワケ、ないでしょ。古代さんと何かあった?」
「えっ!」
「……ほら。言わんこっちゃない。雪さん嘘つけないからなあ」
「大したことないの。ホントよ」

ダイニングには、先に来ていた岬、西条、島が椅子に座っており、古代が立ち上がって真琴に席を譲った。
古代はニコニコと上機嫌で、真琴の為に椅子を引き、彼女をそこに座らせるとキッチンの太田に「俺も手伝う」
と声をかけていた。
(なるほど)
雪が言う”大したことない”は古代にとってはそうなのだろう。
『古代は優しい男だよ』と、真琴はよく夫の加藤から聞いていた。素直で人を疑うことがあまりない。
懐が深いようで、その実脇が甘いところがあるから、しっかり者の森君とはいいカップルだよ、とかなんとか。
お祝いの酒の力で、雪の心配事を取り除ければいいけれど。

配送された家具や寝具も全て組み立て、設置を完了させ、そんなに広くない部屋を
真琴以外の皆で一斉に掃除すると、あっと言う間に雪の独り暮らしの部屋が完成した。
そして太田が買い込んできた冷凍もののピザやパスタで、各々空腹を満す。
4人掛けのダイニングセットに、寝室からスツールと、クローゼットに一旦仕舞い込んだ
脚立を持ってきて、椅子代わりに使う。狭いテーブルに7人分の食事が並ぶと、
メニューは地味でも、それなりに豪華に見えた。
紙コップにジュースを注いで、雪の新居への引っ越しを祝った。

「米食いたいなあ」
手についたトマトソースを舐めながら、古代が呟く。
「そうか。古代さんお米好きですもんね。お昼はパンだったし」
「サバ缶なら持ってきましたよ。米炊きますか?」
「ごめんね、太田君。お米は要らないって言って、持ってこなかったの」
「明日、俺のを半分持くるよ」
「ありがとう、古代君。古代君専用米にするわね」
「ついでに、電気シェーバーも、パジャマも、茶碗も持って来ればいいよ」
「島、勝手なこと言うなよ。ここ女性専用のマンションだって」
「おまえ、ほんと生真面目だな。まあ土方さんの目もあるし難しいだろうけど。健闘を祈るよ」
「雪、島の言うこと真に受けなくていいからな」
「う、うん」
雪は俯いて赤くなっている。
結んでいたポニーテールを解いて、古代にもたれて話を聞いていた。
真琴が持参した酒が入ると、古代はよく笑って話した。
アルコールに弱い太田は、強い島から席を離れ、こっそり西条に水を注いでもらっていた。
いつもはあまり呑まない古代は、この日ばかりは機嫌が良くて杯も進んだ。
ヤマトの中で、どうやって雪との仲が進展していったのかを、岬に問われると
ニコニコしながら、それに答え、時にはしどろもどろになって雪に助けを求める、という
いちゃいちゃぶりだった。

「初めて森君に会った時のこいつの事、森君は覚えてる?」
「覚えてるわ。とても失礼だったのよ、古代君」
「あれは、その、俺びっくりして……」
「似てたんだよ。イスカンダルのサーシャに。俺たち火星で見てたからな」
「ユリーシャのお姉さんのことですね」
「そりゃ似てても不思議じゃないな」
「だけどたぶんそれだけじゃないんだよ」
「? というと??」
呑んでいない真琴は、島の発言に、センサー全開で身を乗り出してくる。
「こいつの好みにぴったりだったわけ。森君が」
「やっぱり、私の勘は最初から当たってたんだ! それで、島さん?」
「待て、島、何を言い出すんだ??」
古代の目はすでにトロンとしていて、酔いがかなり回っているようだった。
「ツンツンしてる子が好みだって。初恋の女の子がそうだって」
「おまえなあ、恥ずかしいこと言うなよー。雪の前で、さ」
「そんな話、一度も聞いたことないわ。古代君?」
「ツンツンしてる子がタイプってわけじゃなくて。君がそうだって言ってるんじゃないよ」
思考回路はショート寸前。
古代は、何に対して言い訳したいのかわからなくなってきた。
「わかってることはただ一つ。森君は、古代の直球タイプだってってコト」
「古代さんって、ドMなんですか……」
「え、そうなの? 雪さんが私生活では古代さんを痛めつけて…」
「雪さんは女王様キャラが似合ってるからいいんですよ♪」
酒の勢いもあって、普段口にできないような冗談もポンポン飛び出した。
「おまえら、勝手なこと言うなよ……」
雪に救いの眼差しを向けたが、彼女は不自然に古代の視線を逸らせた。
(怒らせてしまったか……)
「雪、こいつらの言うこと、冗談だからな。俺はそんな理由で君を好きに
なったわけじゃないからな……zzz」
残った理性をかき集めて、古代はそれだけ言うと、テーブルに突っ伏してしまった。
「あ、寝ちゃったの? 古代君?」
雪が古代の肩を揺さぶると、彼は一度身を起こしたが、甘えるように彼女にもたれかり
再び眠り込んでしまった。

「雪さん、ごめんなさい。つい言い過ぎちゃった」
「せっかく古代さんといい雰囲気だったのに。すみません雪さん」
ジュース片手の岬と、ほろ酔い気分の西条は、そろそろお邪魔した方がいいと判断して
腰を上げる。
「そういう事。俺たちはお邪魔虫。そろそろ退散するか」
元航海長の一言で、元ヤマトクルーは立ち上がる。
岬と西条は、キッチンで食器の後片付けを。
島と太田は空き缶やゴミの回収作業を始めている。
前に座る雪と、彼女にもたれて寝ている古代を眺めて、ゆっくりとお茶を飲んでいた真琴は
コホンと小さく咳払いをする。
「雪さん――」
「は、はい」
「相談にはいつでも乗りますよ。ここから徒歩五分のところにいますから」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
雪は古代の寝息を聞きながら、彼を気にしているようだった。
「肩!」
「え?」
「いからせちゃって、何言ってんですか。我慢はよくないよ。古代さんにちゃんと言わなきゃだめですよ?」
「……わかった。ありがとう」
「まこっちゃん、古代の借りてきたレンタカーで送るよ」
玄関からゴミ袋の口を縛りながら、島が手招きをしていた。
岬たちは、すでに靴を履いて待機している。

「あー、古代はどうする? 寝室に運ぶ?」
 と島は当たり前のように訊いてきて、雪は大いに慌てた。
「だ、だめよ。そんなの」
「なんで?」
「なんでって! なんでもよ。一組しか布団もないし!」
「今更照れることないでしょ? 一緒に寝ればいいじゃん」
「そんなことできるわけないでしょ!!」
はあはあと雪は、肩で息をしている。

「まあ、そうかもな。土方さんの手前もあるし。わかった。俺がこいつを連れて帰るから、安心して」
「古代さんはどう見ても羊にしかみえないけどなあ」と太田は島を見た。
「古代は裏表なしの羊くんだよ」
「航海科のチーフも人の面倒見はこんなにいいのになあ。世の女性は見る目ないのかなあ」
ここにいるメンバーで恋人もちでないのは、太田と島だけ。
「太田には同情されたくない!」
そういいながらも、島は悪い気はしなかった。親友の幸せは素直に嬉しいものだ。


「古代がこんな顔するの、初めて見たな。森君の前じゃこんなにデレデレなんだな」
島は笑いながら、古代の荷物を纏めだした。
「島君……」
「森君、手伝って。下に太田がレンタカー回してくれるんだ。そこまでこのデレデレヤローを二人で
運ぼう」
「うん」
雪は眠っている彼を起こさないように、そっと頭を撫でた。
「島君、さっきの話」
「え? 何の話だっけ?」
古代の右肩を担ごうとした島は、左肩を抱いている雪の方を見やった。

「私、古代君の前の彼女に似てたの?」
(長い付き合いだった彼の前の恋人。初恋だったその人の面影を、私に重ねてるのかな……)

思いつめた顔で、雪は島の目を真直ぐに見た。

「え? 古代の彼女は君だけしか知らないけど」
「初恋の人と付き合ってたんでしょ?」
「上手くいかなかったみたいだよ。ガキの頃の話だし。気になるの?」
「気にならないって言えば、嘘になるわ」
雪は声のトーンを落として話す。

「おーい、雪さん、車もう着いてますよ。そろそろ」
「わかった。もうちょっと待ってて」
島はインターフォン越しに真琴に答えた。
そして雪の方を振り返って、にっこりほほ笑んだ。



*****

しばらくすると、島は一人で下りてきて、車に乗り込んできた。
「あれ?古代さんは置いてきたの? どうして?」
てっきり古代を連れて帰ると思い込んでいた真琴は、少し嬉しそうに島にわけを聞いた。
「いや。お荷物は置いていく事にしたよ」
「大丈夫かなあ、古代さん、相当酔っぱらってたけど」
太田も、心配というよりも当然だろうと言いたげだった。
「あいつの情けないところも、よく見ておくといいんだよ、森君は」
じゃ、帰りますか。雪と古代を部屋に残して、太田はアクセルを踏みこんだ。





わずかに顔をしかめたが、古代は「ゆき……」と寝言を漏らしてベッドに寝転がったままだった。
島と雪に、寝室まで運ばれた古代は、ドスンとベッドの上に放り出されたのだった。
『コイツ、羊くんだから、心配いらないと思うよ』
『オオカミでも別にいいんだけど……』
『今の爆弾発言、古代に聞かせたことあるの?』
『まさか! ないわよ』
『言わせないでほしいけど、察してほしいってことか』
『島君は、女心に詳しいのね』
『古代じゃなくて、残念だったなあ。どう? 今からでも俺に乗り換える?』
「ダメだっ!ゆきぃ」と古代の寝言が聞こえてきた。

やっぱり、こいつは置いていくよ、と島に宣言されて、雪は戸惑いの色を隠せなかった。
『だって、話すことたくさんあるんだろ? 俺から話してもいいけど、それは君が直接古代に
訊くべきだ。こいつは、先回りして君の気持ちを汲んだ言葉なんて百年かかっても言えないやつだ。
だから、君が訊かなきゃいけないよ。でも心配いらないと思う。古代とは長い付き合いだけど
こいつのこんなに幸せそうな顔をみるのは初めてだ。君と出会ったからだよ。それだけは断言できる』

「ああ、土方さんへのアリバイ工作なら、俺が請け負うよ」
そう言ってウィンクをして、島は雪の部屋を出たのだった。




*****
*****

皆が帰って静まり返った部屋に二人きり。
古代の酒癖は、<眠るとなかなか起きない>との事だったので、朝になるまでこのままでいるしかない。

土方への挨拶も、不器用な彼なりに一生懸命だった。
少しニブイところはあるけれど、それに余りある優しさを持ち合わせている人だ。
出会ってからの一余りを、雪は懐かしく思い出していた。

出会いは決していいものとは言えなかった、と彼は言うけれど、自分はそれほど悪いものでは
なかったと思っている。何故だか懐かしいような。どこかで一度会ってたような気がしていたのだ。

第二バレラスから生還して、再び出会えたあの時の感覚に似ていたようにも思う。
絶対に切れない糸で、私たち結ばれてるんだ。

きっと古代君も同じように感じたはずだと。言葉にしないでもわかっていた。


彼がこんなに酔っぱらうなんて、珍しいと島は言っていた。
それだけ君に、心を許しているんだよ、とも。




「好きなの、古代君」
雪の告白に、古代は寝息を返すだけだった。






*****

見慣れないベージュのカーテン。家具の配置もそうだ。
布団も毛布もフカフカだし。キモチがイイ。
抱き寄せてる体はもっと柔らかくて、イイ匂いがして……。
古代は、硬めのマットレスの上に、身体が沈み込んでいくように感じていた。

「……」

アルコールが微かに残る頭をフル回転させて、今のこの状況を確認する。

彼女の部屋。
外泊。


酔った勢い……。

自分にその覚えはまったくなかったが、古代は後悔し始めていた。

「ん……」
彼女が自分の腕の中で身じろいだ。
「あ、お、おはよ」
「う、ん。もうちょっと…」
もうちょっと、この体勢を続けろというのか。
古代としては、このまま動かずにいるのはかなり辛い。
何かをキッカケにアクションを起こしてしまいそうだ。
そう考えるだけでどうにかなりそうだった。
「なあ、俺、どうしてここにいるの?」
雪は古代のその言葉に、ぴくりと体を震わせた。
「古代君の――初恋を教えてくれたら、話す」
何を言われているのか、今一つ理解に苦しむ古代だが、昨日の雪の態度を思い出すと
彼女が、ずっと自分の過去の恋愛を気にしているのだと気付いた。

「ああ、その話か。島が言ってたツンツンした彼女のこと」
酔っぱらっていたとはいえ、そのあたりの記憶はしっかりしているらしい。
古代は、ぼそぼそと話し始めた。

「覚えてるのは、俺がその子に失礼な事を言って怒らせたから、彼女がツンツンしてたってこと」
「それだけ?」
雪は体を密着させて古代の背に腕を回した。
「一生懸命ピアノ弾いてた姿は可愛かったよ。でも下手でさ。俺、つい「ひでえな」って」
「ひどい。古代君、昔から失礼な事平気でするタイプだったんだ」
「わざとじゃないよ。君と初めて会ったあの時と同じだ」


「それは、初恋の人と私を重ねて見てるってこと?」
雪は訊きたかった事を口にした。

「タイプがどうとか関係ない。初めて会った時に、俺は君に惹かれ始めてたんだと思う」
彼は上半身を起こして、彼女と向かい合い、アメジストの瞳を射た。

寝癖の付いたくしゃくしゃの髪のまま、古代は雪に被さった。
「ひ、羊くんだって、島君が、古代君の事」
「それは君に会うまでの僕」
唇を触れ合わせる寸前で、吐息交じりで彼女に伝える。
古代の手は彼女のパジャマの裾を探していた。




BRBRBRBR……!!


サイドテーブルの上の携帯が、二人の動きを止めた。

「おじさま、だわ」
土方からの着ムーブだ。

軽く合わせるだけのキスをして、古代は急いで飛び起きた。
「シャワー借りるよ。朝飯作っておいて」
アルコールが残る頭を軽くシェイクして、古代は静かに寝室のドアを閉めた。






続きます
6 最終話へ
2014 0122 hitomi higasino
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