「ダイブ」
スターシャさんからの返事待ちとのことで、艦内が不穏な空気に包まれそうに
なっていた時だ。「イスカンダルの海で泳ぎましょう」との原田さんの意見具申により
若いクルーたちは、持っていきようのない不安を、海に飛び込むいう行為で爆発させていた。
岬さんに『雪さんも一緒に泳ぎましょうよ』と誘われたのだけど
私はユリーシャと会う約束をしていた。第一艦橋に居残り組の古代君と島君は
『行ってらっしゃい』とにこやかに私たちを送り出してくれた。

一年以上前の記憶がない私に、ユリーシャは、地球にいた頃の私と彼女の関係
について話してくれた。
そして私たちが、どうしても此処にたどり着かなければならなかったか、も。
彼女の話はとても抽象的ではあったけれど、不思議と自分の記憶のピースと
合致していくようにするすると理解できた。まるで姉妹のように
私たちは二日にわたって話し合い、空白を埋めようとした。
ヤマトに戻る時間になると、無性に古代君に会いたくて堪らなかった。

艦内に戻ると、ひと泳ぎして発散が出来たクルーたちは、皆希望に満ち、目を輝かせていた。
スターシャさんが、コスモリバース・システムを、私たちに渡すことを決めたのだ。
艦長室で、詳しい説明が行われている。
受け入れが決まり、艦内への積み込みが始まった。
古代君はすぐに艦橋に戻ってこなかった。真田さんたちとの打ち合わせでも
あるのだろうと、それほど気にはならなかったのだけど。
やがて、彼がすぐに戻らなかったわけがわかった。
艦内放送が始まると、誰もが静かにそれに聞き入った。
彼のお兄さんの最後の呼びかけに、女性クルーたちは目を潤ませていた。


真田さんが艦橋に戻ってきたのに、古代君の姿はない。
私に何か出来ることはないのか、考えてみた。
そして一度は、やっぱり何も出来ないと結論付けた。
古代君はきっと一人で居たいに違いない。
私の脳裏に、ハーモニカを吹く寂しげな丸まった背中が浮かんだ。

「あの、ここ、少しお願い」
そばにいた岬さんに交代を頼むと、私は居てもたっても居られずに艦橋を飛び出した。
艦外は夕暮れていて薄暗いけれど、すぐに古代君の背中を見つけられた。
古代君は、私のタラップを駆け下りる足音に気が付いて振り返った。
「どうしたの? 」
「あ、ううん。私も、もう一度散歩しようかなって」
咄嗟に出た言葉がこれで、私はどうしようもなく自己嫌悪した。
すると、古代君は「奇遇だな。俺も散歩。一緒に行くか?」と
後ろの私を振り返りながら言う。
背中越しに私を見て、右手を差し出した。
「???」
暗くてよくわからないけど、これは、一体?
「手、繋ぐ? 」
「えっ」と言って私は固まってしまった。古代君のこういうところに
私はいちいちときめいてしまう。
(まだ慣れていないんだ)
恥ずかしがる私に、古代君は
「暗いから、そそっかしい雪は海に落ちるかもしれないだろ?」と言って
私を引っ張りよせた。そして、そのまま手は繋がれた。

スターシャさんからお借りしたボートに、もう一度二人で乗り込んだ。
昨日とは、景色が全然違う。
暗い中を、ボートのモーター音だけが響く。さざ波だった海が、私たちの向かう
先をはっきりと示していた。私も古代君も言葉を交わさなかった。
「着いたよ」
ボートを停留させて陸に上がる。ボートに乗り込む前からずっと
私たちは手を繋いだままだ。
私の不安も恐怖も、この手によって明るい希望へと変えられていく。
だから、古代君の寂しさも私の手で、変えてあげられたら。
それは驕った気持ちだと思っていたけれど、きっとそうじゃない。
祈りを込めて、私はその手をぎゅっと握った。
気のせいではなく、彼は握り返してくれた。


古代君はポケットから携帯ライトを取りだして、そこを照らして歩き出した。
「墓地……」
「うん。怖い?」
「いいえ。古代君と一緒だから」
小さな携帯ライトの光一つで、私たちは墓地の通路を進んだ。そしてそこに行き当たった。


「……」
古代君は、しばらくじっとお墓と向き合っていた。そして、持ってきた銃を
ガンホルダーから抜いて、そっと置く。詳しく説明を聞いたわけじゃない。
けれど、古代君はきっとそこに一人で行くのだろうと、確信があった。
私は続いて、摘んできた碧水晶の花を重ねた。花弁が銃の上で風に揺らぐ。
肌寒くなってきた。彼を一人にしなくてよかった。
いつも私を励ましてくれる背中が、この時は小さく見えたのだ。
エンケラドゥスで初めて私は、古代君の抱えている哀しみを知った。
踏ん切りはついた。でも家族がいる奴がちょっと羨ましいと話していた彼。
家族に会ったよ、と夢の話をしてくれたあの時も。
古代君は、きっと静かに自分の中の哀しみと向き合って、折り合いをつけてきたのだ。
私に出来る事。励ましの言葉なんて彼は必要としていない。
ならば。



「行こうか」
「うん」
こうして私たちは、来た道を戻っていく。舗装された道は綺麗に清掃されている。
塵一つ落ちていないことに気付いた。

――あのひとが毎日来てるからだろうか。そうだったらいいな。

古代君から少し遅れて歩いていた私は、歩幅を合わせ、彼に追いついた。
後ろから古代君の手を握る。グローブのにおいがしていた手。私を引っ張ってくれた手。
「待って」
「?」
「古代君が迷子になっちゃいそうだから、繋ご」
日はほとんど沈みかけていて、空はオレンジ色から紫色へのグラデーションを描いている。
ボートがあげる水しぶきも、空の色を反射して綺麗だった。
このままヤマトに戻るのは惜しいという気持ちが、私に全くなかったわけではないけれど。
ヤマトへ戻ってきた古代君は、艦橋に戻らずに、いきなり私の目の前で脱ぎ始めた。
「えっ? 何? なにしてるの?古代君!?」
あっという間に艦内服を脱いで、中のインナーまで脱いじゃった。
これから何が始まるのか、まったく予想できずにいる私に、古代君はこういった。
「泳ぐ」
「はい? 今から? もう日が沈みかけてるのに?」
私の言葉を最後まで聞かずに、古代君はザブンとマザータウンの海に飛び込んだ。
海中はたぶん真っ暗だ。
水しぶきがあがって、水面から彼が顔を出して私はほっとした。


「どうしちゃったの? そんなに泳ぎたかったの?」
古代君は、口からぴゅっと水を吹き、笑った。
「雪もおいでよ」
「誰かに見つかっちゃうわよ!」
「いいよ、別に見つかっても」
「何言われるかわかんないわ」
「いいって。それよりイスカンダルの海を体感できない方が寂しくないか?」
「そんなこと言ったって……タオルも、水着だって持ってきてないんだから」
「俺のインナーで拭けばいいでしょ。水着は……下着だけじゃダメ……だよな?」
そういう問題じゃないでしょ、と言いかけた私は、古代君の指さす方を一緒に見た。
「空も、海もでかいよな。昼間と夜でもこんなに違うんだ
俺たち人間ってちっぽけな存在で」
「……そうだね」
「ごめん。さっきのは冗談。雪は先に戻ってろよ。俺はひと泳」
私は、艦内服のファスナーを掴んで一気に引き下ろしながら、古代君の言葉を遮った。
「あっち向いてて。絶対こっちみないでね」
「え」
薄暗さをいいことに、私は彼に背を向けて制服を脱ぎ去った。
彼の言葉がないということは、私の行動を理解したということだ。
私は下着姿のまま、古代君と同じようにザブンと海に飛び込んだ。
飛び込んでから思い出した。(泳ぐの、あんまり得意じゃなかった……)

携帯ライトが照らす海面は、そこだけスポットライトが当たっているように
ぼんやり浮かんでいる。古代君はその明かりから、外れていく。
バシャバシャと力任せに水面を打つ音だけがする。彼は本気で泳いでいた。
あっという間に私との距離が広がった。
「古代君!」心細くなった私が大声で呼ぶと、音が止んでこっちを振り返った。
しばらく水面に浮いていたかと思うと、彼は勢いをつけて水中に潜ってしまった。
(イジワルする気だ)
私は、大きくバランスを崩さないようにしてるだけで精いっぱい。
「プハッ!」
古代君は、いきなり私の目の前に顔を出した。
「びっくりするじゃない!」
驚いた私が、またもや大声を上げると、古代君は可笑しそうに笑った。
長い前髪が、何度も目にかかるのを気にして、後ろに撫でつけている。
「違う人みたい!」
オールバック姿の古代君が可笑しくて、私も声を立てて笑った。
海は夕凪の時刻で穏やかだ。大きな波も立たない。
私と古代君の笑い声が止むと、途端に静かになった。
ちゃぷんちゃぷんと手で水を掻く音だけで会話しているようだった。



――ああ。誰も居ない宇宙で二人きり。
言葉はなくても、私たちはわかりあえてた。あの時の感覚に近いのかもしれない。
泳ぎの下手な私でも、立ち泳ぎで古代君と向き合える。
なぜか力も技巧も全く必要がなかった。
二人の間に強い引力を感じる。

間違いない。古代君は私を必要としている。だから誘ったのだ。
彼は、また私から離れて、軽くゆったりとストロークを繰り返した。
先ほどの力任せなそれとは対照的だった。
私はイスカンダルの夕焼け空を仰いだ。全身から余計な力を抜いて
両手をお腹の上で組んだ。
離れたところから、古代君が私に話しかけた。
「雪は、泳がないの?」
「実は私、そんなに泳ぎは得意じゃないんだ」
「それなのに、飛び込んだの?」
「そうよ。古代君が」



――寂しそうだったから。

「俺が?」
「……誘うから」
古代君は、私との距離を詰めてくる。それはパシャパシャと水を掻く音でわかった。
いたずらされるのが癪で、私はただ浮いているだけのストリームラインの姿勢を取った。
ゆったりしたストローク。真剣な顔をして。髪が目にかかってもお構いなしで。
私は、波間に漂っていた。古代君が何か言ってくれるのを内心期待しながら。
彼は大きく手をスライドさせて水を掻き、私の元へ泳ぎ着いた。
波立たせた海面がユラユラ揺らめき、その影響を受けて私も浮き沈みした。


「帰ろうか」
「もういいの? 」
「うん」
私の手をとって、ヤマトへと近づく。ライトの明かりが、私たちを導いている。
ふいに、古代君は私を抱き上げた。私は、胸まで海中から浮き上がった。
「な、何?」
「言えなかったけど」
「うん」
それが何を指しているのか、私にはぴんときた。





ダイブ

イラストby ココママさま


「俺、君が」
「古代君……」
先を訊きたい。だけど、彼は息継ぎを最優先させてそこからは黙ってしまった。
足は届かないくらいの水深で、私を抱き上げ続けることは不可能だ。
このままでは二人とも溺れてしまう。すぐに古代君は抱擁を解き
私の肘を掴んで泳ぎ始めた。
「ねえ、古代君?」
ヤマトまで泳ぎ着いて、私は彼の”告白”を待った。古代君は先に私を押し上げた。
濡れた髪先から水が滴りおちて、黒い鋼鉄の鉄板に水たまりをつくる。
海から上がった私は、彼のインナーで素早く濡れた体を拭き
彼の艦内服を手繰り寄せて羽織った。
ハーフタイプのスパッツを穿いているとはいえ、立ち上がるのは恥ずかしい。
私は羽織った古代君の上着ごと自分を抱きしめ、しゃがみこんだ。
彼は、両手をついて伸びあがった。
長い前髪が額に張り付いている。前髪の隙間から覗く古代君の目と
私の目があった。
両肩から二の腕の筋肉が盛り上がっていて逞しい。
私がそんな古代君にドキドキしているのを知ってか知らずか、鼻先にも
少し上向かせた顎の下にも水を滴らせて私に近づく。
彼は私の唇に視線を落とした。

甘い予感がした。
古代君が、横にいる私に顔を近づけた。
引き寄せられるように、私もまた彼に近づく。
古代君の吐息が私の唇をくすぐった。




「誰ですか? そこで何をしているんです?」
保安部の誰かにみつかってしまったようだ。
タラップを降りながらこちらに明かりを向けられた。
「今は遊泳は禁止ですよ。官姓名を名乗ってください」
星名くんだ。彼がライトで私たちを照らしながら、こちらに近づく。
今度は溜息だ。小さく、はぁと吐き出された息が私にかかり、とんでもなく
恥ずかしくなった。
「やべ」
「あ、みつかっちゃったね」
古代君は急いでヤマトに乗りあがって、びしょびしょのインナーを身に着けた。
そして素早く濡れたスパッツのままでズボンを穿いていた。
私は、手に自分の艦内服を持ち、戦術科の制服を羽織って、下はハーフスパッツ姿。
二人とも、かなり怪しい。
「えっ? 戦術長と船務長でありましたか! どうされました?」
「ああ、いや、泳いでた」
「そう。泳いでたの。ホラ、私たち昨日は皆と泳げなかったから。残念だねって話してて」
古代君も、私も開き直った。星名くんは苦笑いしながら、インカムで他の保安部員に
「こっちは異常なし」と連絡を取っていた。私たちに気を遣ってくれたのか
「足元に気を付けてください」などと、先導までしてくれている。古代君が後ろ手に
指を繋いでくれたので、私は俯きながら後に続いた。多少の居心地の悪さを感じながら
艦内に戻ると、今度は嘆息した平田主計長に出迎えられた。
ここまでくると流石に居たたまれなくなった。

「俺が森君を巻き込んで泳いじまっただけでさ、平田、なんでもないんだからな」
平田さんの手からバスタオルを受け取った古代君は、しどろもどろに
なりながら言い訳をする。
「ハイハイ。上には報告しないよ。早く乾かしてこい」
「恩に着る」
「すみません……」
平田さんは、ちょいちょいと私だけに手招きをして小声で囁いた。
「君のおかげだよ。古代、さっきと全然顔つきが違う」
「あ、ありがとうございます」
なんと答えていいかわからず、咄嗟に私は感謝の気持ちを言葉にした。
先を行く古代君が立ち止まって、怪訝そうな顔をこちらに向けた。
「平田、余計なこと、雪に吹き込むなよ」
「ああ、わかったわかった。さっさと部屋に戻れ」
赤くなってる古代君を、平田さんが面白がって
「おまえがなー、森君と夜の海でデートなんてなあ」とまだからかっていた。
私は益々恥ずかしくなって、頭からすっぽりとバスタオルを被ると
「お先に!」と言い残し、一人でさっさとエレベーターに消えたのだった。
こうして、私と古代君の”夜の海でデート”はあっけなく終了となった。










エレベーターに一人きりになると、私は、ふやけた指先を唇に当てた。
彼の吐息が唇に触れた瞬間を、リアルに思い出す。

潮の香り。額に張り付いた長い前髪。何か言いかけた口元。












(古代君、私もあなたが……)






2014 0417 hitomi higasino



スペシャルサンクス ミエルさま、ココママさま









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