21990キリリク

「見守る人」


天に召されたオレが、年に一度下界に降りることを許された。
死んだ人間すべてが、このシステムを利用できるわけではないらしい。
なにやら説明をうけたのだが、オレにはちんぷんかんぷんだった。
ただ、残してきた家族に、お別れをきちんとさせてくれるらしいということはわかった。
いつがいいかと神に訊かれ、『弟の誕生日がいい』と即答した。

神さまもせっかちだ。こっちの準備も整っていないというのに、
足元が割れて、真っ暗な闇が口を開けた。
(まさか、天国から地獄行とかじゃないだろうな)
そこからは果てしなく続く深い、深い穴だ。
しかし、もとは楽天家気質の俺だ。
すぐにこの状況も、楽しんでやろうとスイッチを切り替えた。


(七月七日か。上との時差なんてあるのかな。今何時だろう? そういえば進の新しい
部屋って聞いてないぞ。どこに降ろされるんだ?)

等と、考えたのはきっと一瞬だ。
それまでの落下するスピードが、急に緩やかに感じられた。
何も映していなかった両目に、懐かしい記憶の世界が広がった。

――夜目がきく。

かつて暮らしていた世界に、オレはほんの数時間だけという条件つきで戻ってきた。

人類はまだ地下都市で生活しているらしい。
地上での建設ラッシュはこれからということか。
浦島太郎はきっとこんな気分だったのだろうなと、オレは周りをきょろきょろと見渡しながら弟の住む部屋へと気を急かせた。

意識を集中させると、一気に部屋へと到着できた。
おそらく夜中の一時か二時頃だ。辺りはしんと静まり返って……。

ん?


ドアの向こうの寝室で、人の気配がする。
間違いなく弟だ。
そして、もう一人は。

会話にならないような声が、時々漏れ聞こえる。
切れ切れの女の声と、それに混じって進の声が。


――あ。

これは、大変失礼した。彼女とお取込み中だったようだ。
オレは抜き足差し足で、二人の寝室前からそっと離れた。

神様も相当いじわるだな。何もこんな時を狙って落としていくことはないだろうに。

ダイニングに戻って、しばらく腰かけて朝になるのを待つか。
しかし、どうにも気になってしまう。
離れて、気を他の事に向けていれば聞こえないのだが、ふとしたはずみで意識を彼らに向けると
中の様子まで見えてしまう。
(おおっと。進のヤツ、オクテだとばかり思っていたが、ヤルことヤってんだな)

いやいやいや。いくら兄弟とはいえ、弟のプライバシーの侵害をするような真似をしていいわけがない。
進が組み敷いている女の子は、あの子なんだろうか? はっきり確かめられないで、それが気になったが
オレは、目も耳も塞いで、風呂場に避難することに決めた。

(朝まで待たせてもらうよ)

弟との再会が待ち遠しくもあり、不安でもある。
なぜなら、これは「お別れの儀式」だからだ。
しかし、別れの儀式と言うのなら、これっきりがベストだと思うのだが。
神様は気まぐれなのか? 毎年このチャンスをくれるというのか?



進が、一人で寂しそうに泣いていた背中を思い出した。
両親を亡くしてすぐの頃だ。入院中の病院のベッドの上で、頑なに俺を見ようとしなかった弟。
『おまえだけでも助かったんだな。ごめんな。オレがもっと早くに帰って来られていたら……」
「……」
素直に泣けばいいのに。
肩を小刻みに震わせて、声を押し殺す弟が不憫でならなかった。
そんな器用な真似が出来るわけないのに。

こいつはあの頃から人前で泣かなくなった。だから怖かったのだ。
愛する人の死に直面した時、一瞬溢れた感情を、進はまた元に戻そうとしたんだ。
そう。無かったことに。
オレが、もっと一緒に居てやればよかった。素直な優しい弟が、兄に心配かけまいとして
哀しみをどこかに置き去りにしてきた事に、気づいてやるべきだった。
一緒に泣いてやれば良かったのだ。
生きていく事に必死で、泣かない弟を、『強くなった』と褒めていた。
泣かないのではなくて、泣けなくなってしまっていたのに。



オレの死を受け入れた時には、彼女がいつもそばに居たんだよな。
だから、乗り越えられたのだろう。その支えとなってくれた女性が、あの子なんだな。

オレは、進の幸せな姿を見届けられれば、それでいい。






遺言めいた、最期の言葉は伝えてもらえた。神妙な顔をして聞いていた進にもしっかりと届いていた。
もっとプライベートなことを。たとえば、あの女の子のこととか。
残された時間は短い。
進に直接伝えられるかどうかは、わからない。
考え込んでいるうちに、朝になった。
無意識に、寝室の方を見ると、進はもう起きていて、彼女の髪を撫でてやっていた。
オレは二人が休んでいるベッドの横に立っていた。

きっかけは彼女だ。そう。森雪くん。
彼女とは、例のCRS発動以来、妙に波長が合ってしまった。
あれ以来会うのは初めてだったので、加減が分からなかったのだ。
引き寄せられるまま、オレは彼女に近づいた。一瞬ふわりと体が浮き、すとんと落とされた。

感触がある。人肌だ。
「オハヨ」
気付くと、オレは進の横で横たわっている。
聞こえるわけないと思いながらも「進? 進じゃないか!」と呼んでしまった。
すると進のやつ「雪? 寝ぼけてるのか?」ときたもんだ。
(え? 雪って呼んだか? どういうことだ?)
自分の体を見て、オレは絶句した。
(雪くんだ……)
ナイスバディ。ぜ、全部は見てないからな、進!

オレは、雪くんの体を借りることを思いつく。少しだけ進を独り占めするのだ。
偶然とはいえ、こんな都合のいいことはない。彼女には悪いが。
(ごめん、雪くん。少しの間、体を借りる。午後には返すから)
オレは心の中で彼女に手を合わせた。
”少しだけですよ”と彼女の声がした。



+++++++

進が、ブランケットごとオレ(雪くん)の上に覆いかぶさってきた。
「お、おい、起きるぞ」
間一髪、弟の腕をするりと抜けてそういうと、進は目をぱちくりさせて俺を見た。
「う、うん。雪、変な夢でも見たの? なんかいつもと違うね」
「そうかな? あははは。そうかもしれないね。あ、飯食おう。腹減った」
進は解せないといった表情でオレを睨んだが、気にしないことにして、シャツを羽織り、ベッドから立ち上がった。
「まるで、兄さんみたいだ」
進がぽつりと漏らした一言に、オレは胸がきゅっと締め付けられた。
「あ、お兄さんの夢見たの」
オレは雪くんになり切ってそう答えた。
「兄さんの? どんな夢だった?」
「会いにくるんだ。スス、コダイくんに」
「そうか……」
進は食器棚からマグカップを二つ取り出し、テーブルに並べている。
「気味悪いかな?」
オレは、ミルにコーヒー豆をセットしてスイッチを入れ、進に訊いた。
「まさか。嬉しいよ。たぶん」
最後の朝も、こんなふうにいつもの朝だったことを、オレは思い出していた。
目頭に熱いものがこみあげてきた。オレは慌ててアクビをしたことにして誤魔化した。

「君に、兄さんを会わせたかったな。きっと喜んでくれたと思うんだ。兄さんは、
俺のこと、女の子が苦手だと思い込んでたみたいだからさ」

オレは、ちらりと進に視線を送る。
(ああ。その年まで全く女っ気がないから、モテないのかと心配してた)
ドリップの上から湯を注ぎ、匂い立つコーヒーアロマを深く吸い込んだ。
「……きっと喜んでくれてるよ。私とコダイくんのこと祝福してくれてる」
雪くんの口調を真似て(確かこんな感じだった)にっこりとほほ笑む。
サーバーにゆっくりとコーヒーの滴が落ち始めた。
進は、雪くん(オレ)の手つきを凝視して、首を捻っていた。
なにか間違ったか。ノーマルなドリップ式コーヒーの淹れ方なんだが。
オレは有無を言わさず、進にマグカップを手渡した。

「ああ。十二月には結婚するんだもんな。俺たち」
さらっと進が放った一言に、マグカップのコーヒーを盛大に吹き出した。
「なっ、おまえ、け、結婚するのか!」
あまりに驚いたものだから、ついそう叫んでしまったのだ。

進は口まであんぐり空けて、固まっている。そしてその目が不安に揺れていた。
「雪、一体どうしたんだよ? ひょっとしてマリッジブルーなのか? 加藤が言ってた。女性にはそういう時期があるんだって?」

進はそう言って雪くん(オレ)の肩を揺さぶり、彼女の目を覗き込んできた。


――その目。覚えてるぞ。

『兄ちゃん、ボクの事、本気で怒った?』
5歳の進が、いたずらを叱ったオレの袖を掴んで、泣いて謝ってきたことがあったな。
(ばかやろう! そんなことあるわけないだろう!!)


オレは、もう我慢が出来なくなって、その場で進に抱きついて大泣きしてしまった。
「よかったな。よかったな! 嬉しい、本当に嬉しいよ!」

進はわけがわからないのだろう。
「今朝は情緒不安定じゃないか? なあ、深呼吸してごらん」
といいつつ、雪くん(オレ)の細い腰を抱き、頬を寄せてきた。

「ダ、ダメ!」咄嗟に顔を背け、弟からのキスをよけると、進は明らかに落ち込んでいた。

「明日、新見さんに話聞いてもらおうか?」
「いや、それだけはやめた方がいい」

薫は、俺の事を持ち出して、進に何か吹き込むようなことはいない女だが、
あの、気が付くとうまく話を聞きだしている一見親切な態度、その裏でなにもかもお見通しな
彼女を思い出すと、オレは自然と背中を向けたくなったのだ。

「なんで? 何か困ったことがあったら真田さんや新見さんが相談にのってくれるって話しだったろ?
雪も喜んでたじゃないか」
「あははは。そんな私、困ってないよ、全然! 嬉しすぎて変なだけよ」
「今日の衣装試着は、大丈夫か?」
「もちろん!」
「無理して窮屈なデザインのドレスにしたんじゃなかったか? ッておい! そんなに食うとドレスが入らなくなるんじゃ?」
オレは薫の件を誤魔化す為に、食卓にあったフルーツを山盛りカットして、口に運んでいたのだった。



*****

部屋を出るまでも大変だった。着替える洋服がどこにあるのかわからない。下着の外し方は知っているが
付け方がわからない。化粧の仕方なんてまるでさっぱりだった。適当にクリームをいくつか塗って
口紅だけつけてみた。進はまだ何か言いたそうだったが、オレ(雪くん)は「さあ、出かけましょう」と
弟の手を取って、部屋を出たのだった。

「十一時に衣装合わせ。一時間ほどで終わるらしいよ。そこから俺の誕生日をレストランで祝って、夕飯の買い物して」
「うん」
オレは衣装合わせの最中に、たぶん居なくなる。彼女(雪君)にだいたいの説明をしておかないと
せっかくの進の誕生日デートを台無しにしてしまう可能性があった。
オレがそんな事を考えていると、運転席の進が、信号待ちで止まった間に、雪くん(オレ)に耳打ちをする。
「今夜も泊まるだろ? 明日一緒に出勤すればいいよ」

急に動悸が激しくなって、思わずその豊かな胸に手を当てた。
彼女がドキドキしているのがわかる。

――お前たち、愛し愛されてるんだな。

オレの無言であるはずの問いかけに、彼女(雪くん)は嬉しそうに『はい』と答えてくれた。


そうこうしているうちに、ドレスショップに到着した。

流石だ。きっちり十時五十五分。
受付で、進が「衣装の試着に来ました。古代です」と話している。
コーディネーターとは事前に何度も打ち合わせていたようで、通されたテーブルのすぐ後ろに
細身のウエディングドレスが用意されていた。

進の話通り、かなり細身のデザインのドレスだった。
「気に入っていただけたドレスの、もうワンサイズ大きいものも取り寄せられたので
ご用意できますよ。お召しになられますか?」
オレは「お願いします」と言って、あとは天に運命を任せるつもりだった。
ドレスの着方なんぞ、わかるわけがないのだ。

「大丈夫ですよ。こちらで着付け、ヘアメイクまで簡単にですが、させていただきます。ドレスを着ていただいて
写真もおとり頂いて結構ですよ。今日は薄めにメイクしてくださっているのですね。手間が省けます。ご協力ありがとうございます」
「はあ」
オレは間の抜けた返事を返した。
進は、そうだったのか、とでもいうように、うんうん、と頷いていた。

「さあ、ご主人様はこちらへどうぞ」
呼ばれた進は、赤くなって『ご主人様だってさ』と恥ずかしそうに頭を掻いていた。

「いってらっしゃい、ご主人様」
オレはコーディネーターの声色を真似て、進をからかってやった。
弟は、赤くなりながら「行ってくるよ、俺の奥さん」などと完全に浮ついた声で舞い上がっていた。

進は別の部屋へ通されて、衣装の試着をしているようだった。
オレはまず広めの個室に通された。そこでまず、薄いスリップ一枚になって鏡の前に座らされた。
「それだけでは寒いので、これをどうぞ」
手渡されたガウンのようなものを羽織り、じっと雪くんの顔を鏡越しに見つめた。

化粧っ気のない素顔の彼女は、美しかった。
生きている証拠に頬がピンクに染まっている。ふと後ろの壁時計の時間が気になった。
オレがここに居ていい時間には限りがあるのだ。
今日の日の午前中まで。それがオレの持ち時間だ。

「あの、少し予定を早めていただきたいのですが」
オレ(雪くん)の申し出に、コーディネーターは「かしこまりました」と頷いた。

メイクさんが手際よく、雪くんを花嫁の姿に変えていく。
紅を差し、髪を結われた姿に、オレはしばし見惚れてしまっていた。

「綺麗だ」
思わず出た呟きに、メイクさんと鏡の中で目が合ってしまった。
「素敵な旦那さまですね。だから奥様も輝いてらっしゃるのですよ」
「あ、ありがとうございます」
すっかり出来上がった花嫁の顔に、オレは感動しつつ、急いで立ち上がった。
「あ、だんなさまがいらっしゃいましたよ」

部屋に入ってきた進は、凛々しい一人前の大人の男だった。その軍服姿に
彼の士官学校入学式の少し大きめの制服姿を思い出す。

「似合ってる」
オレはそれ以上の言葉が見つからず、ただ進を見詰めるだけだった。
「雪だって、すごく綺麗だよ。ドレス姿も早く見せて」
「うん」
雪くん(オレ)はコーディネーターに伴われてフィッティングルームへと急いだ。

時計は十一時五十五分を差している。
「進」
オレは弟を振り返った。
「また、あとで」
進は笑っていた。

カーテンを閉め切った途端、目の前が暗くなった。
体が急に軽くなったのだ。


オレは最後の力を振り絞って雪君に語りかけた。
「幸せになるんだよ」


雪君は、ゆっくりと目をさまし、オレの居る方向に目を向けた。
「はい。必ず」

彼女の力強い宣言に後押しされたオレは、もう二度と弟を振り返れなかった。

いつの間にか、来た道を戻っていた。



弟とその婚約者の結婚式の予行(みたいなもん)に付き合ったオレ。
オレにとって弟とのお別れの儀式で、進の人生の門出をほんの少し祝えた気分だった。 








2014 0929 hitomi higasino

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21990ヒッター にょろにょろさまからのリクエスト
「古代君と雪を見守り続ける守兄さん」のお話です。
4話で兄さんが残した銃で助かったし、14話で夢からさめたのも兄さんとのやり取りがきっかけだった。最終話では雪を蘇らせたし
古代君の窮地を救ったのは兄さんなのかな…と。地球に帰ってきてからもずーっと見守り続けてるんじゃないかと。

というリクエストです。
リクいただいたのが、ちょうど四か月前でした;; タイトルはもちろんにょろにょろさんからのリクをそのまんま生かしました^^
途中で書いたお題企画もこの構想を生かしたものです。
書いててとっても楽しかったですv 新見さん、真田さんも登場させてみたかったのですが、それは、また別の機会にv

まだ書いていないエピもあるので、たぶん続編に続きますv
ここからの妄想も広がって、別の話も書いてみたいとおもってますv(来年)
にょろにょろさま、楽しいリクでした! ありがとうございましたv


ひがしのひとみ 












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