ドレスの下は薄いキャミソールだけだった。あのドレスは目立つ。
逃げることを最優先させ、彼女は下着一枚同然の姿になり、 古代とともに逃げおおせてきた。
自分のボディラインがここまではっきり古代に見られてしまっている ことを失念していた。
胸の形はおろか、バストトップまで透けて みえているのではないかと気が気でなかった。


にも関わらず。
古代の表情に変化はない。いたって冷静である。 雪は下着替わりに身に着けていたキャミソールの肩ひもを
胸がみえてしまうのではないかというラインギリギリのところまで引き下げて見せた。
このにぶちんな男には、少々刺激が強いかもしれないが、 彼のそういった顔が見てみたくなったのだ。


「森君?」
いきなりの雪の行動を古代は訝しんだ。しかし雪は古代にお構いなしに、今度は身を捩って胸の谷間を露わにする。

「何をするんだ、いきなり? こんなところで着替えるなよ」
少しは焦ったのかもしれないが、もう少し言いようがあるのではないかと雪は嘆息する。


私にどきどきすることないのかな

こんな姿は、まさか他の男の前で見せたことはない。なけなしの勇気を振り絞っての誘惑ごっこだったのに、古代は一向になびかない。

二の腕に肩ひもを下げたままで、雪はそれ以上の誘惑ごっこをやめてしまった。かと言って、なにもなかったかのように振る舞えるほど冷静ではない。
何も感じてくれない古代に、さびしさと同時に怒りを覚えて口を尖らせて黙り込んだ。

古代の脳内は???である。
「どうしたんだ? 気分が悪いのか?」そういって、今度は彼が着ていたフライトジャケットを脱いだ。
「ごめん、気が付かなかったから。寒いんだろ? これ着ておけよ」
そして雪にジャケットを投げて寄越す。

どこまでも鈍感な古代を、雪はこれ以上怒る気にならなかった。
「ううん、いいの。私が着ちゃうと、古代くんが寒くなるんじゃない?」
「いいから、着とけって」
二人の間でフライトジャケットが往復する。

「…そんな恰好、目のやり場に困るんだよ。頼むから」
何度かの押し問答の末、古代にそう言われて、雪はえ?と戸惑った。
だって、彼ってずっと冷静だったじゃない!気にしてないって風だった。それとも、ただ困っちゃっただけなのかな。
「だったら、こうしておけば寒くないでしょ」
ジャケットに袖を通した雪は、彼に近づくとゆっくりと両手を彼の背中に回した。
「も、森くん??」
古代の胸に顔を埋めた雪は恥ずかしさのあまり真っ赤だ。
「……ドンカン」

「あ、えっと…」
薄い生地の下の柔らかな胸の感触に、何も感じないわけはない。
古代とて男なのだから。

雪の背に腕が回される。おずおずといった具合に。

「俺さ、ずっとさっきから我慢してんだけど」
あさっての方向を見ながら、彼はそういった。








****

雪は、はっと気づく。古代のその口調の変化に。
感情的になったとしても、彼の口調がガラリと変わることはない。けれど、この時はとても親し気に聞こえたのだ。

にぶちんな彼が。 冷静なひとが。

雪の瞳がイタズラに輝く。


「なーにを?」
「なっ。なんでもないっ!」
「それじゃあ、わかりません」
「なあ、森君、頼む。これ以上は無理」
雪は古代の反応を楽しむかのように、顔を古代の胸に埋める。
「しないで、いい」

しないで、いい、とは何を??と今度は古代が尋ねたくなる。
「しなくて、いいんだよな? だったら、この手を解いてくれないか?」 古代の方は限界が近づきつつあった。
これ以上すり寄られたら、オトコの本能が爆発しそうで。
「迷惑なの?」
「そうじゃなくて。いや、君の為に、その方がいいなら、そうだ」
彼はどこまでいっても品行方正な真面目人だった。 思わず出してしまった言葉に、雪はもう後悔しはじめていた。


「これは、着とけって。何度も言わせるなよ」
「いらないわ。迷惑なんでしょ? そんな他人に優しくする必要ないです。だいたい、古代君は誰にでも親切なのよ!優しければいいってものじゃないわ」
「なんだよ、急に」
「急に、じゃない。ずっと思ってた。古代君は他人にいい顔しすぎ。 嫌なら嫌だってはっきり言えばいい。優しくなんてしないでいいの」
「なんで急に怒りだすんだ?俺の言葉が気に障ったのなら謝る。けど君の は八つ当たりなんじゃないのか」
「違うわ。だけど古代君がそう思うのなら、それでもいい」
「言いがかりだな。嫌なことならはっきり断ってる。誰にでも親切か どうかは、わからないけど」
「親切よ。任務だからって、私を助けにくるなんて」

彼女のイラつきの原因をわかりかねて、なるべく冷静に返事を返していた 古代だが、彼女の『任務だから』の言葉に、流石に頭にカチンときた。

「それ、本気で言ってるのか?」

彼の声が低くなった。
古代が一歩を詰め寄ると、反射的に雪は後退する。
「……」
古代の態度に気圧されて、雪は声が出せないでいる。
「雪には、そう見えるのか?」
「古代くん……」
「君が無事だった。それだけで俺は嬉しいし、仲間たちだってそうだ」
「それ、着ろよ。無事だった姿を早く皆に見せたいだろ」
雪には返す言葉がない。
わがままから出た言葉だと、わかっている。彼がそんなつもりじゃないということも。 古代の立場も、彼の言動も。正しいのだ。間違ったことは何一つない。

「お借りします」
他人行儀にそれだけ言うと、雪は古代に背を向けてジャケットをもう一度羽織った。

彼女のひとまずの無事を確認できて、こうして奪還に成功したとはいえ。
具体的な拘束中の出来事について、訊いたわけではない。 心に大きな傷を負ってしまっているのかもしれない。
そこは古代も理解しているつもりだ。 個人的な感情を抜きにして、まったくの第三者の立場で、彼女を守り通せる自信があるわけではない。
ともすると、”個人的な感情”が邪魔をして、彼女をもっと傷つけてしまうかもしれないのだ。
雪が、何を恐れ、心を乱しているのか――古代も知るのが怖いのだ。冷静でいられなくなるかもしれない。




****
「アルファ1、応答せよ。こちら艦橋。」
「……」
「アルファ1、応答せよ、こちらは艦橋。聞こえないのか? 古代さん、雪さんは」
「……」





****

先程までの言い争いで、古代と雪はほとんど話すことなく、黙々とこの
救出作戦を遂行中である。
ここまで逃れて来れたのは、ある意味奇跡に近い。
古代は辺りを警戒しながらゼロに近づき、何もないことを確認する。

「時間がない。これに着替えろ」
え、と雪は一瞬固まってしまった。
雪用にパイロットスーツとヘルメットが用意されていた。
「早くしろ」
古代はくるりと後ろ向きになり、雪を促した。
「……っ!」
着ろ、脱げ、キロ。


もちろん古代がこんなことを冗談で言ってるのではないことくらい
雪にもわかる。そして二人に残された時間が少ないことも。

意を決して、ジャケットを脱ぎ、キャミソールも脱ぎ捨てて、スーツを手に取った。
早く着替えなくちゃ、と焦れば焦るほどもたついてしまう。
「もう、いいか?」
「だめっ。待って。もうちょっとだから」
焦れた古代が振り返ろうとするので、雪は慌ててそれを制した。

「コスモゼロ、まさか私に乗れというの?」
着替え終わった雪がヘルメットを装着しながら古代に問うた。
まさか自分だけ帰還させようとしているのではないか、と勘繰ったのだ。

「ああ。森君、乗りたがってたろ?いい機会だし、乗ってもらう」
「だって、それじゃ古代君は?」
「後部ユニットを取り外して、座席を組み込んだ。君は後ろ」
さあ、早く、と古代は先に雪の体を押し上げた。


***
機内でも、二人は特に交わす言葉もなく、淡々と時間は流れた。
ずっと緊張感でガチガチだった雪の身体がほぐれていく。目の前にヤマトが迫ってきていた。
敵の目を掻い潜って脱出に成功したコスモゼロで、二人は戻ってこれた。

「アルファ1、着艦する」
着艦口に機体を滑り込ませると、古代はやっと肩の荷の半分を下ろせた気がした。
機体はそのまま格納庫へ。
キャノピーをスライドさせると、そこはいつものように静かだった。

「あの、古代くん」
「なに?」
「さっきはごめんなさい。私が間違ってた」
気まずい雰囲気の中、雪は古代に素直に詫びた。
「私のミスを、命を懸けてカバーしてくれた。救ってくれたわ。ありがとう。感謝してる」
「あれは…君のミスなんかじゃない。守れなかったのは、俺の」
「ううん、私に隙があったからよ。古代君は関係ない」
ふっと古代は苦笑を浮かべる。
「関係あるよ。指揮をまかされてたし。でもそこじゃない」
「古代くん?」
古代が先に立ち上がり、雪も彼に続いてコックピット内で立ち上がった。

「俺が、守りたかった。君を。でもできなかったんだ。ごめん」
古代も悔いていた気持ちを雪に告げた。
「謝らないで。私は戻ってこれたのよ」
「ああ」
古代は自分のヘルメットを脱ぎ、雪に神妙な顔を向ける。
古代の告白めいたものに、雪の鼓動は早くなっていく。
彼に悟られないように、自分もヘルメットを脱ぎ、後ろにまとめていた長い髪をふわりと
解いた。
[無事でよかった……」
「うん」
「ガミラスで……」
「大丈夫。酷い仕打ちは受けなかった。ザルツ人の人が護衛しててくれて」
「そうか」
「他にも報告しなきゃないけないことが」
「いいよ、後で」
古代は、右ひざをシートにつき、大きく身を乗り出して雪に近づいた。
すっと雪の細い手首を両手でつかみ、そのまま彼女を自分の方へと引き寄せた。
「あ、古代くん…」
「雪、おかえり」
雪は恥ずかしさのあまり下をむいたままで、こくんと頷いた。
彼女は少し背を反らせてしまっている。
嫌がっているのだろうか?と古代は少し心配になる。
屈んで、下から覗き込むと、真っ赤な顔をした彼女と視線がぶつかった。
はっとして、数秒間目を泳がせたのち、彼女は小さな子どものようにぎゅっと目を閉じた。
古代は、それが合図だと理解した。そして自分の方から、彼女に顔を近づけていった。
ゆっくりと、ふたりのシルエットは重なる。






「う…ん」

チュ、チュと音がするほどのキスを受けて、雪はくすぐったそうに古代を見る。
決して広いとは言えないコスモゼロのコクピット内で立ち上がった古代と雪。
二人は無理な姿勢で、からだをひねりながら、キスシーンを展開中だ。
半身を乗り出して互いをしっかりと抱きしめあった。

彼らはずっと無線の呼びかけを無視したままである。

無事に着艦したあと、古代は雪を心配して、医療班を格納庫に寄越すよう要請し、
即座にこちら側の通信を切った。
「古代さん、雪さんの怪我は? 古代さんも怪我してるんですか!?」
尚も相原通信長は古代に話しかけてくる。その口調が怒っているというよりも
急に黙り込んだ二人が心配で仕方がない、といった具合で緊迫してきていた。
「古代君、いい加減返事して。みんな心配するじゃない」
迫ってくる古代の頬を両手で摘まんで、雪はストップをかけた。
「いいって。もう少しだけ。大丈夫、ちゃんと切ってある」
彼はスイッチをオフモードにしたことを、もう一度雪に示して見せた。
だから、いいだろ?古代のすがるような目で見つめられると、
雪はだめだと言えなくなる。

フライトジャケットもヘルメットも、座席後部に投げ捨てられている。
雪も古代も夢中になっていた。

「あー、お二人さん。仲がいいのはよーく知っております。が、そろそろ降りてきてもらえませんか?」

業を煮やした掌帆長の声が届き、古代は即座に反応した。
雪の唇を堪能していた動きは止まり、背筋を伸ばして、辺りをきょろきょろし始める。
「見えてません。大丈夫ですよ、戦術長」
これも気を遣っているのだろう。榎本は古代にだけ通信を寄越している。
座席の上に投げ捨ててしまったヘルメット内から、良く知った声が届く。
古代の一連の動作を今もみているかのような榎本の言葉に、
古代は苦笑を浮かべる。雪は、突然ぎくしゃくした古代の動作に??となっているが
だいたいの予想はついていたので、古代の鼻にちゅっとキスをしてこれで、終わりだと告げた。

仕方なしにヘルメットを被りなおして、通信モードに切り替えて。

「……こちら古代。二人に大きな外傷はなし。念のため森船務長を医務室までお願いします」

「了解しました。メディックを急行させます!」
ほっとしたのか、相原の声は急に元気になる。

『えー、急行せず、ゆっくりと来られたし』
榎本から相原への極秘通信が寄せられていたのを、古代と雪は知らない。

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