「見守る人々 親が見送る時」
「こんばんは。お邪魔します」
「ああ。二人ともよく来たな」
式を二か月後に控えた休日の午後。娘も同然である雪が、婚約者である古代を伴って訪れた。
今日は、婚約者の誕生日だから、呼び出すのも気が引けたのだが。
雪との交際を認めてほしいと、この青年がうちを訪ねてきたのは、ヤマトが地球に帰還してすぐの頃だった。
渋々交際を認めたわけだが、それからトントン拍子に話が進み、半年前には婚約を交わし今に至るわけである。
最初の頃は、家に訪ねてきても、緊張してほとんど話す事のなかった古代だが、
この頃は、向こうから話しかけてきたりして、そうなると嬉しいものだがこちらの口は固くなり閉じてしまう。
何時かは雪にこれの存在を、と思い始め、どうせならこいつも一緒の時にと、俺は重い腰を上げ、奥の部屋から引っ張り出してきたのだ。
雪に手渡したのは、古ぼけた厚いノートだった。
「おじ様、これ?」
「うむ。まあ、開けてみなさい」
紙に染み込んだインクの匂いが、ページをめくるたびに、まるで真新しいインクのように匂い立つ。
一枚めくるたびに、彼女の顔が輝きを増した。
古代は、雪の横で手元を覗き込んだが、彼女の邪魔をするでもなく、問うでもなく、その様子を見守っていた。
こんな二人を見ていると、つくづく結婚を賛成してよかったのだ、と思えた。
書かれた文字には全く見覚えがない。そもそもこんなアナログなものがまだ残っていたなんて。
雪の顔にはそう書いてある。
一度に全部訊きたい、と雪は早口で問うた。
「これは私の母のものですか? どうして、今頃?」
そこに書かれているのは日記の類だ。
「そうだ。おまえの両親から預かっていてな。いつ渡すべきか、俺も迷っていた」
インクの匂いは雪の鼻の奥に簡単に吸い込まれ、脳に信号として送られる。
その信号が、頭の中に映像として映し出される。
雪がヤマトで地球を発つ時、渡しておくべきか悩んだものだ。しかしそうしなかったのは
彼女の使命を優先させての決断だった。そして彼女が必ずここへ帰ってくるのだという願いも込めての事だ。
実際に、何かを思い出したり、絵として思い浮かべたりすることはないのだろうが
雪は文字を目で追いながら、俺の言わんとしていることを理解したようだった。
「ありがとう、おじ様。今だから、私も受け入れられるのだと思います」
雪はそう言って、隣の古代を見た。
古代も頷いているだけで、特に励ます様な言葉もなかった。
そんなところも好ましい。微笑ましいとさえ思える、ということは、俺も少しは子離れできたということか。
「不思議です……。懐かしいなって、思えるんです」
俺は目を細め、そうかと言って湯呑の緑茶をすすった。
「不思議がることがあるか。全部お前の母親の言葉なのだからな。たとえ覚えていなくとも
感じる心が、お前にはあるのだよ、雪」
読んでしまった。悪いとは思ったんだが、と先に謝意の言葉を告げ、俺は、雪に
今日と同じ日付のページをめくれ、と促した。
「七月七日、雨」
雪は、俺にも聞こえるように配慮して読み始めた。
「ダイニングテーブルの椅子は、だらしなく引かれたままで、
テーブルの上もパン屑が散らばり、コップの底には温くなった牛乳が残されていた。
夫も娘も送り出した後で、いつも私は思う。
あと10分早起きして、雪の髪を結ってやろうって。
そうすれば、いつもより10分長くあの子と二人の時間を過ごせるのに。
パン屑一つさえ懐かしいと思えるようになるのかな。
あと十数年もしたら、あのこは私から旅立っているのかもしれない。そう思うだけで寂しくなる。
あなたの成長が誇らしくて、嬉しい反面、ちょっとだけ寂しい。
だから、こんな一瞬を書きとめておこうと思いました。
この瞬間を覚えておきたくて……」
雪の目から一粒流れ出したものが、古びた紙の上で溜まりを作った。
間もなくインクと一緒に滲みだし、雪は慌てて、指先でそこを擦っていた。
雪の指先が紺色に染まっていくのを、古代の手が止めてやっている。
雪は、声に出すことを諦めて、目で母親の言葉を追っていた。
俺は全部を覚えているわけではなかったが、最後は確かこんな風だった。
――いつか雪が大きくなって、お嫁さんになる時が来たら、髪を結わせて。
ウェディングドレス姿の雪。ああ、想像しただけで感傷的な気持ちになる。
あの子はまだほんの七歳なのに。
クリスマスイブの日に生まれた雪。
あの頃どんな気持ちでいたのか、話してね。
今日は七夕の日だから、短冊代わりの日記です。
読み終えた雪は、静かに日記を閉じて、俺に「ありがとう」と言った。
「俺は、お前たちに何もしてやれないからな」
せめてもの償いだ、と言いかけた俺に、古代が首を振る。
「それは違います、土方さん」
何を言い出すのだと、キッと古代を見返したが、やつは
「僕も、雪も、土方さんを本当の親のように思っています。気にかけていただいているのを
どんな形で恩返ししていけるかわかりませんが、感謝しているのは僕も雪も同じ気持ちです」
と言い切った。
「青二才が。バカめ」
腹立たしさから出た言葉ではない。
が、つい大声になっていたようだった。雪も驚いて俺を見ていた。
雪が今しがた読んでいた母親の気持ちを、お前は読んでいたか?
雪の後見人となった時は、想像もしなかった感情の揺れが、今の俺を突き動かしている。
「お返しだと? そんなものはいらん。お前達が幸せになればそれでいい」
「……ありがとうございます」
古代は、僅かに赤くなって頭を掻いた。
殊勝な顔で縮こまってしまった青年の目を、覗き込んでいる雪の方が、落ち着いている。
(やはりこの二人は、いい夫婦になれるだろう)
「おじ様」
手の中の湯呑をぼんやり見ている俺に、雪は「短い間でしたけど、私はおじ様ご夫婦に、本当の親と同じように接していただいたと思っています。これからもずっと、私たちの親だと思わせてください」と、言った。
「僕からも、お願いします」
続いて古代も頭を下げる。
――父親の真似ごとを、この俺がするのか。
親代わり、と言っては言い過ぎな気もするが、俺にとって、雪の後見人を務めている間の数年間は、得難い体験をさせてもらった。
この役目もあと二カ月で終わり、古代にその任を引き継ぐのだ。
直之から預かった母親の古い日記を託すことで、肩の荷を下ろす。これでお役御免だ、と妻には笑って話しているが、式の最中、俺自身がとんでもない事態に陥らないか実は密かに心配している。
「……雪を泣かすような真似は許さんからな」
俺は、湯呑を手中で転がしながら言った。
「はい!」
二人の声が重なり合った。
2015 0706 hitomi higasino
「こんばんは。お邪魔します」
「ああ。二人ともよく来たな」
式を二か月後に控えた休日の午後。娘も同然である雪が、婚約者である古代を伴って訪れた。
今日は、婚約者の誕生日だから、呼び出すのも気が引けたのだが。
雪との交際を認めてほしいと、この青年がうちを訪ねてきたのは、ヤマトが地球に帰還してすぐの頃だった。
渋々交際を認めたわけだが、それからトントン拍子に話が進み、半年前には婚約を交わし今に至るわけである。
最初の頃は、家に訪ねてきても、緊張してほとんど話す事のなかった古代だが、
この頃は、向こうから話しかけてきたりして、そうなると嬉しいものだがこちらの口は固くなり閉じてしまう。
何時かは雪にこれの存在を、と思い始め、どうせならこいつも一緒の時にと、俺は重い腰を上げ、奥の部屋から引っ張り出してきたのだ。
雪に手渡したのは、古ぼけた厚いノートだった。
「おじ様、これ?」
「うむ。まあ、開けてみなさい」
紙に染み込んだインクの匂いが、ページをめくるたびに、まるで真新しいインクのように匂い立つ。
一枚めくるたびに、彼女の顔が輝きを増した。
古代は、雪の横で手元を覗き込んだが、彼女の邪魔をするでもなく、問うでもなく、その様子を見守っていた。
こんな二人を見ていると、つくづく結婚を賛成してよかったのだ、と思えた。
書かれた文字には全く見覚えがない。そもそもこんなアナログなものがまだ残っていたなんて。
雪の顔にはそう書いてある。
一度に全部訊きたい、と雪は早口で問うた。
「これは私の母のものですか? どうして、今頃?」
そこに書かれているのは日記の類だ。
「そうだ。おまえの両親から預かっていてな。いつ渡すべきか、俺も迷っていた」
インクの匂いは雪の鼻の奥に簡単に吸い込まれ、脳に信号として送られる。
その信号が、頭の中に映像として映し出される。
雪がヤマトで地球を発つ時、渡しておくべきか悩んだものだ。しかしそうしなかったのは
彼女の使命を優先させての決断だった。そして彼女が必ずここへ帰ってくるのだという願いも込めての事だ。
実際に、何かを思い出したり、絵として思い浮かべたりすることはないのだろうが
雪は文字を目で追いながら、俺の言わんとしていることを理解したようだった。
「ありがとう、おじ様。今だから、私も受け入れられるのだと思います」
雪はそう言って、隣の古代を見た。
古代も頷いているだけで、特に励ます様な言葉もなかった。
そんなところも好ましい。微笑ましいとさえ思える、ということは、俺も少しは子離れできたということか。
「不思議です……。懐かしいなって、思えるんです」
俺は目を細め、そうかと言って湯呑の緑茶をすすった。
「不思議がることがあるか。全部お前の母親の言葉なのだからな。たとえ覚えていなくとも
感じる心が、お前にはあるのだよ、雪」
読んでしまった。悪いとは思ったんだが、と先に謝意の言葉を告げ、俺は、雪に
今日と同じ日付のページをめくれ、と促した。
「七月七日、雨」
雪は、俺にも聞こえるように配慮して読み始めた。
「ダイニングテーブルの椅子は、だらしなく引かれたままで、
テーブルの上もパン屑が散らばり、コップの底には温くなった牛乳が残されていた。
夫も娘も送り出した後で、いつも私は思う。
あと10分早起きして、雪の髪を結ってやろうって。
そうすれば、いつもより10分長くあの子と二人の時間を過ごせるのに。
パン屑一つさえ懐かしいと思えるようになるのかな。
あと十数年もしたら、あのこは私から旅立っているのかもしれない。そう思うだけで寂しくなる。
あなたの成長が誇らしくて、嬉しい反面、ちょっとだけ寂しい。
だから、こんな一瞬を書きとめておこうと思いました。
この瞬間を覚えておきたくて……」
雪の目から一粒流れ出したものが、古びた紙の上で溜まりを作った。
間もなくインクと一緒に滲みだし、雪は慌てて、指先でそこを擦っていた。
雪の指先が紺色に染まっていくのを、古代の手が止めてやっている。
雪は、声に出すことを諦めて、目で母親の言葉を追っていた。
俺は全部を覚えているわけではなかったが、最後は確かこんな風だった。
――いつか雪が大きくなって、お嫁さんになる時が来たら、髪を結わせて。
ウェディングドレス姿の雪。ああ、想像しただけで感傷的な気持ちになる。
あの子はまだほんの七歳なのに。
クリスマスイブの日に生まれた雪。
あの頃どんな気持ちでいたのか、話してね。
今日は七夕の日だから、短冊代わりの日記です。
読み終えた雪は、静かに日記を閉じて、俺に「ありがとう」と言った。
「俺は、お前たちに何もしてやれないからな」
せめてもの償いだ、と言いかけた俺に、古代が首を振る。
「それは違います、土方さん」
何を言い出すのだと、キッと古代を見返したが、やつは
「僕も、雪も、土方さんを本当の親のように思っています。気にかけていただいているのを
どんな形で恩返ししていけるかわかりませんが、感謝しているのは僕も雪も同じ気持ちです」
と言い切った。
「青二才が。バカめ」
腹立たしさから出た言葉ではない。
が、つい大声になっていたようだった。雪も驚いて俺を見ていた。
雪が今しがた読んでいた母親の気持ちを、お前は読んでいたか?
雪の後見人となった時は、想像もしなかった感情の揺れが、今の俺を突き動かしている。
「お返しだと? そんなものはいらん。お前達が幸せになればそれでいい」
「……ありがとうございます」
古代は、僅かに赤くなって頭を掻いた。
殊勝な顔で縮こまってしまった青年の目を、覗き込んでいる雪の方が、落ち着いている。
(やはりこの二人は、いい夫婦になれるだろう)
「おじ様」
手の中の湯呑をぼんやり見ている俺に、雪は「短い間でしたけど、私はおじ様ご夫婦に、本当の親と同じように接していただいたと思っています。これからもずっと、私たちの親だと思わせてください」と、言った。
「僕からも、お願いします」
続いて古代も頭を下げる。
――父親の真似ごとを、この俺がするのか。
親代わり、と言っては言い過ぎな気もするが、俺にとって、雪の後見人を務めている間の数年間は、得難い体験をさせてもらった。
この役目もあと二カ月で終わり、古代にその任を引き継ぐのだ。
直之から預かった母親の古い日記を託すことで、肩の荷を下ろす。これでお役御免だ、と妻には笑って話しているが、式の最中、俺自身がとんでもない事態に陥らないか実は密かに心配している。
「……雪を泣かすような真似は許さんからな」
俺は、湯呑を手中で転がしながら言った。
「はい!」
二人の声が重なり合った。
2015 0706 hitomi higasino
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プロフィール

管理人 ひがしのひとみ
ヤマト2199に30数年ぶりにド嵌りしました。ほとんど古代くんと雪のSSです
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