「お、焼き立て?」
「そうみたい」

朝のジョギングのついでに、美味しそうな匂いに誘われたの、と雪は首に巻いたタオルで
汗を拭いながら古代に袋を手渡した。
先に休暇中の雪は、深夜帰宅しているはずの古代のもとへ、朝食をともにしようとやってきた。

朝早くから開いているマーケットもないので、いつもならコンビニで適当なものを
見繕ってくるのだが、今朝はいつものジョギングのコースを変えたらしい。
2ブロックほど遠回りして走っていると、『美味しそうな匂い』に誘われた、と言うのだ。

「へえ。新しいベーカーリーが出来てたんだ。知らなかったな」
「古代くん、最近帰りが遅いから、お店なんて閉まってるほうが多いでしょ?」
「まあね」

紙袋からはみ出たバゲットに、カンパーニュのサンドイッチ。それからクロワッサン。
「二人で食べきるには多くないか?」

古代は手渡された紙袋から、クンクンと匂いを嗅ぎながら一つずつ取り出す。

「大丈夫!きっと美味しいから、全部食べられるわ」
雪も同じく古代と顔を並べてクンクンと真似てみる。
二人は軽くキスを交わしながら微笑みあう。

「シャワー借りてもいい? さっぱりしてからサラダも作るわ」
「いいよ。俺がサラダもアイスティーも作っておくから。さっぱりしてこいよ」
「ほんと!?」

雪の嬉しそうな笑顔に、古代も目尻が下がり、俄然やる気が出てくるのだった。
「ああ。スペシャルモーニングセット!」
「古代君のアイスティーって美味しいのよね。アールグレイ、濃いめでいいわ」
「よし、まかせろ」

古代はさっそく冷蔵庫の中身をチェックする。

独り暮らしの男の使う冷蔵庫に、豊富な食材があるわけでなく。

野菜は、しなしなの人参の亡霊に、これまた小さくなってしまったきゅうりと思わしき残骸。
かろうじて食べられそうなのは、プチトマトが3個とキャベツの千切りの残り。

(あーあ。サラダって言えるほどのもんじゃないな。ないよりはマシか)

何日か前に雪が来たときに、二人で開けたワインのことを思い出す。
(確かツマミにチーズを買ってきたんじゃなかったっけ?)
と、見つけたチーズはなんとか使え(食べられ)そうだ。

「あーいい匂い。お腹ぺこぺこ」
雪は濡れた髪をアップにして、Tシャツに七分パンツの軽装で風呂場から出てきた。
雪の上がってくるタイミングに合わせて、紅茶も蒸らし、
狭いテーブルに細やかなスペシャルモーニングセットが並べられた。

薄めにカットしたバゲットにチーズ、トマトを乗せてブルスケッタ風に。
「おっと、こいつには何を挟む?」
焼き立てクロワッサンは、紙袋が湯気で湿ってしまうほどまだ温かい。
雑に扱うと、バラバラと崩れそうだ。
「何も挟まないで、そのままがいいわ」
「味気なくない?」

「それって、ヤマトのクロワッサンを思い出すわね」
あ、と古代もその話に思い当たった。
確かオムシスが不調で、クロワッサンもどきしか食べられないことがあったと。

「あれはあれで美味しかったけど、やっぱり焼き立ては違うわよ?
バターたっぷり使ってるから、いい香りだし、層も厚いの」
「ふーん?そんなものなのか」
古代が試しに一口かぶりついてみると。

「!!!」
{ね?」
目と目で合図できてしまうほどに、美味い。

量が多すぎないかと心配していたが、ひとつ残らず二人は平らげた。
古代は鼻に抜けるバターの香りが忘れられないのか、これからそのベーカリーに行きたいと言い出した。
「いいけど。たぶん売り切れちゃってるわ。焼き時間が決められてて、次は午後の2時だって」
食べられないのか、と思うと人間、余計に食べたくなるものだ。
「雪、明日一緒に走ろう。そこのバーカリーで焼き立てを買うぞ」

普段ごはん党だった古代が、しばらくの間、朝食に限ってはこの焼き立てクロワッサンでなければダメだと
珍しく拘るのだった。
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