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バカバカしいとは思う。
けれど、薫は車を出して此処に来た。

本気で信じているわけじゃないんだから。
これは、そう。
あのひとの弟に説教の一つでもしてやるつもりなのだから。
車を運転しながら、薫の胸中には、まとまりのない想いがぐるぐる回り続けていた。


ホテルの地下駐車場に車を停め、ドアを閉めた時には、薫の気持ちは決まったいた。
どのみち、進のことは放っておけないのだ。彼の弟だからといって、変に遠慮する必要もなければ
干渉する気もない。かといって無視するわけにもいかない。
まずは話を聞いてみよう。
そんな気持ちで開けたドアの向こうに、消えてしまった彼がいた。
薫自身、夢現の中にいるようだと思った。守の言葉は、自分に託された、弟たちの幸せを願う兄の気持ちだった。


+++++++++

「……というわけで、あなたは酔っぱらって私を呼び出したのよ。たぶん雪さんと間違ったのじゃない?
それで、指輪を持って来なきゃとかなんとか……。酔っぱらいながら気にしていたってことは、家に忘れてきたんじゃないの?」
進に背後に立っている守は、『俺の存在は、進には言わないでくれ。弟には見えていないし、
その話をしだすと理解させるのに時間がかかりすぎるから』と身振り手振りを交えて薫に訴えた。
薫は、進を通り越した背後に向かって頷いた。彼の言いつけを守って、守の存在については一言も話さなかった。
そしてさり気なく指輪の話題を出した。
二日酔いで、頭痛がするのか顔を顰めていた進は、薫から「指輪」の話題を出されてから、真っ青になった。

「あ、取りに帰らなきゃ……。あれだけは絶対に忘れるなって雪に念押しされてたんです」

しっかりしていると思っていた進が見せただらしなさを、薫は不快に思わなかった。
むしろ、ダメなところも有った方が、いいように思える。
「私が行こうか? 送って行って、また戻ってきてあげるわ」
「新見さんにそんなことさせちゃ悪いですよ、俺」
「いいの。祟られちゃ嫌だもの」
「?」

進が何の事ですか?と首を捻っている後ろで、大柄な兄の影は頭を掻いていた。
くすり、と薫は笑ってから答えた。
「なんでもないわ」



時折こめかみを押さえて道案内をする進を横目で見ながら、薫は軽快にハンドルを切っていた。
もうあと五分くらいで進の家に着く。
そんな時に進の携帯が鳴った。

「あ、雪」
『古代君、おはよう。指輪は用意した?』
「うっ! それは、その、大丈夫だと思う」
『古代君? まさか失くしたりしてないでしょうね?』
「えっと、いや、失くしてない。そもそもまだここにない…」
『はい? 今どこにいるの?』
「どこと言われても……。もうすぐ家」
『……』
「あの、雪?」
しばらく沈黙があった。薫は素知らぬ顔で、来客用駐車場に車を停めた。
『いまから、そっちに行くわ』
「え、どっち?」

二人の会話は想像するしかないのだが、薫には大体の予想がつく。
嘘を吐けない進を、雪が不審がって問い詰めているに違いない。
部屋に帰っていないのが雪にばれたのだろう。
そして雪は、進の電話を最後まで聞かずに自室を飛び出すだろう。

薫はサイドブレーキを引きながら、自分はどこまで進をかばってやればいいか、そこまで考えていた。
厄介ごとを持ち込むきっかけになったのは、たぶん守だ。
(彼の代わりに、弟クンの尻拭いを一度だけ、引き受けるのもまあ、悪くない)

彼女の心の声が聞こえたかどうかは別として。
守は、改めて弟の周りにいる人たちに、感謝せずにはいられなかった。







*****

自分の部屋に着いてから、取るものもとりあえずで、進は寝室に直行した。
「あった!」
こめかみを押さえながら、エンゲージリングが入ったケースを薫に嬉しそうに「ありました」と言い直して報告する。
薫は腕組みを解かずに、「よかったわね」と後ろにいる守にも伝えた。

「とにかく、早く式場に戻った方がいいけど。その前に、シャワー浴びて、さっぱりしたらどう? 着替えもした方がいいと思うなあ」
上司としての口調になりかけて、素早く笑顔を作った薫に、進は気付くことはない。
「はい、そうします」と、素直に従った。


進に切迫感が無いのが気になったが、それは兄譲りだったのかもしれない、と薫は考えた。
指輪があったから、もう大丈夫だ、と気が緩んでいるのだろうけど、シャンとして婚約者の前に現れないと
まずいのじゃないかしら。
私が森さんの立場だったら、まずは相手の部屋に乗り込むわね。

と、そこまで考えが及んだ時、バツが悪そうな守と目が合った。彼は素知らぬ顔で視線を逸らした。

「進君、早く支度なさい。森さんに心配かけちゃ」



薫が話しかけた時。
いきなりドアが開かれた。

「古代君、起きてるの? お酒臭い……」





結婚式当日の朝。

電話で起こして始まる予定が、こんな朝になるだなんて。
何の疑いもせずに入ってきた夫となる男の部屋で、雪が見たのは、彼と自分も知る女性の姿だった。






「あ、雪。おはよう……」

「森さん、おはよう」


ヨレたジーンズにシャツのボタンを襟から三つほど開けた進は、普段の彼からすればだらしなく見える。
昨日の夜、雪と別れる間際に着ていたものだが、皺だらけだし、シミがついていたり汚れていたりしている。

悪びれもせずに挨拶が出来るということは、疾しいところなし、と受け取っていいのだろうが、
それにしてもちゃんと説明をしてほしい、と雪は思った。
回りくどい言い方をするよりも、ここはストレートに聞いてしまった方がいいのではないか。雪はそう思うと同時に、言葉を発していた。

「あの、新見さんはいつからここに?」

「その件だけど」
ホラ来た、とばかりに薫は進に目配せを送りつつ溜息を吐く。多少演技じみてしまってもいいと思って
わざとらしく首を回してから、再び口を開いた。
「進くん、昨日は深酒しすぎて大変だったみたいよ? 家にも帰れなくてホテルで酔いつぶれて眠ってしまったみたい」

「ホテル……?」
婚約者の事を”進くん”などとどうして薫が呼ぶのか、ひっかかりを覚えた雪だが、細かなことを一つずつ質している時間もない。
仕方なくその事はどうでもいいこととして、無視することに決めた。

「朝から呼び出されて、『指輪を忘れたから、取りに帰りたいけど、車を運転できないから送ってほしい』ってね。
流石にあなたには電話しづらかったみたいよ? でしょ? 進くん」

「……その通りです。言い訳の一つもできないくらいその通り」

進は、雪に対してもそうだが、薫に対しても低姿勢で縮こまった。


「古代君、とにかく、先にシャワー浴びて準備した方がいいわ。指輪は私が預かります」
「……わかった」

雪と進の会話を聞いた薫は、壁際にいる守に頷いて見せた。ここで引くのがいいだろうと判断して。
守は、これで一旦肩の荷が降ろせると、ほっとした顔を薫に向けた。
「じゃあ、私はこれで」

自分が帰れば、二人は言いたいことも言い合えるし、そのほうがいいに決まっている、と薫は思ったのだ。

「新見さん、ご迷惑おかけしてすみませんでした」
進が風呂場に向かってから、雪は新見のもとに駆け寄って、頭を下げる。
「あら、いいのよ。気にしないで。大事な日だから、今日は喧嘩しないでよ?」
雪の後ろにいる守までも、一緒になって手を合わせているものだから、薫は嫌味の一つでもいいたいところを
ぐっと我慢した。
「普段は森さんが、進君をお尻に敷いちゃうくらいがいいのかもね?」
微笑を浮かべた薫に、雪は言い返せないで困ったように笑うのだった。

*****


もちろん、雪には守の姿が見えている。
進が、羽目を外してしまうことは滅多にないことだったが、貴重な独身最後の夜を、兄の影に守られて
大いに楽しんだ結果がこうだった、と安易に想像できていた。
しかし、ここは妻としてはっきり言っておいた方がいい。
夫にも、義兄にも。




「古代君、」
濡れた髪を、雪から渡されたタオルで拭きながら、進は雪に向き直った。
雪は、薫が居なくなってしまったことで、遠慮せずに言えると思っている。
「は、ハイ」
進も、ある程度の覚悟はしている。本当に申し訳ない、情けないと思っているのだから。
「羽目を外しちゃう気持ちもわかるけど、今度からは、妻である私に連絡してね」
「うん。ごめん」
拗ねて甘えてみたいところだが、守の手前、それも出来ない。
進はと言うと、寸でのところで大きな失敗を免れたわけで、ここには今二人きり。
甘いムードに浸っても良さそうだと思い込んでいる。
「雪……」
悪いことをした子どもが、親のご機嫌をうかがう為に、張り切ってしまうのと同じで、雪に手を伸ばした。

「古代君!」
雪は、肩を抱こうとした古代の手を、跳ね除けた。
「今日は、大事な日でしょ? 」
進の腰に巻いたタオルが外れそうになっていて、雪はドキドキしている。
進は、尚も唇を寄せようとした。
「キスだけ」
「だめ!」

雪は両手で進を突っぱねた。彼女としては、守が見ているそばでそんなことは出来ないと思ったのだ。
「初夜のお楽しみは、今夜に回すつもりだけど、キスくらいいいじゃないか」
「だめ、そんな事言って、古代君、いつも私を……じゃなくて! 遅刻も嫌だし、私の準備も万全にしたいの」
雪の頑なな態度に、進は拗ねたくなるのを我慢するしかなかった。
「そうか。そうだよな。これからいくらだって、俺たち、セッ、むぐっ」
「変な事言わないで! 違うんです、古代君、結婚式で浮かれちゃってるだけよね??」
古代の口に蓋をした雪は、進には見えていない、守に向けて言い訳をした。
「ヤダ、古代君、お酒臭い。誓いのキスしたくないかも……」
むせて咳き込む進と、その後ろにいる守にも、雪はイジワルを言いたくなったのだった。

「いや、それはマズイ。式までになんとかするから」
『雪君、そこは我慢してくれないか』

「私がいい方法を考えるわ」
表向きニッコリ笑う雪だが、慌てる進と、狼狽える守に、内心でこう答えた。


(新見さんの助言に従うまでもなく、そうなっちゃいそうです……)








2015    0831 hitomi higasino


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すみません;;古代君が、ずっと情けないオトコになってますが;;
最終回まで一緒に更新するよりも、分けたほうがいいかと思って、ここで一旦終わりにすることにしました。
キリリク頂いていた内容のものは、次回に持ち越す……というかずれたものになるかもですが;;;

「幸せのありか Just say i do」  に続く (雪誕SSとして更新する予定です)
今度こそ、古代君をかっこよく書こう……;;;
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