川辺の土手に腰を下ろして、夏の夜空を見上げている。
雪は、浴衣の裾が雑草が生い茂った地面に付かない様、軽く下駄のかかとを浮かせ、
膝を抱えてしゃがんでいる。古代は、そんな雪の隣でジーンズの尻が汚れるのもお構いなしで
所謂体操座りをして、彼女と共に空を見上げていた。
チューブの駅を降りたって地上に上がってみると、外は突然の夕立で、
今夜の花火大会の開催は危ぶまれたのだが、雨宿りをしようかと話している途中で、すっかり雨は止み
予定通り、花火が打ち上げられだしたのだった。
連続して大小、色とりどりの花火が夜空に打ちあがる。
ブンッと音がしてから、ひゅううっと空高く舞い上がる一尺玉が、大輪の花を夜空に咲かせると
雪は、手を叩いて喜んだ。
「わあっ、きれい!」
子どものようにはしゃぐ雪の横顔が、花火のオレンジ色に照らされているのを見た古代は
その妖艶さと、無邪気さとのギャップに、ドキリとした。
そんな古代の胸中を知らない雪は、額に掻いた汗をハンカチで押さえながら、恋人に向って微笑んだ。
古代は自分の心の中を見透かされたのかと、緩みかけた口元を引き締めて、というよりへの字に曲げて、急いで彼女から目を逸らした。
「あ、あのさ、腹減ったし、何か食わないか?」
古代は、ジーンズの尻についた汚れを手で払いながら立ち上がり、今度は汚れた手を、忙しなくジーンズで拭きとろうとする。
彼のジーンスは、尻も腿のあたりもドロだらけとなった。
「あーあ。何やってるの。これ、早く洗濯した方がよくない?」
「先に何か食おうよ」
「そんな恰好じゃ、お店に入れないよ」
雪は嘆息しながら、恋人の子どものような仕草を、指摘した。
「だから、屋台で買い食いする」
「全く、もう。古代君って」
「子どもみたいって言いたいんだろ?」
「わかってるのなら、どうしてそんなに泥だらけにしちゃうかな」
「とにかく! 早くなんか食おう」
と言う古代より早く、雪が屋台の通りを振り返っている。
「あ、」
「雪? イカ焼きがいいの?」
雪が何かを言いかけてやめたのを、古代は不思議に思って、どうしたのか訊こうとするが、
雪は、「待って!」と、古代の問いには答えず、慣れない浴衣と下駄で駈け出した。
「おい、雪!」
当然追いかけようと、古代も走り出す。
しかし、雑踏の中に彼女の姿を見失ってしまった。
多くの人が行き交う狭い通りで、似たような浴衣姿の女性が多いのだ。
「雪! どこにいる?」
大声で彼女の名を呼ぶが、それに答える声はなかった。古代の声も、また雑踏の中に埋もれてしまった。
++++++
「待って!」
自分の前、ニメートルくらい先の浴衣の女性を、雪は追いかけている。
しかし、追いかけられている女性は、まったく気づいていない様で振り返ろうともしない。
声が届かない。
気付いてもらえない。
置いて行かれる。
そんな恐怖感に雪は捉えられてしまい、足が動かなくなった。
「まっ」
思わず発した。心の底から引き留めたくて。
思ってもみなかったひとを、雪は引きとめようとしたのだ。
「ママっ!!」
大声で叫ぶ雪に、浴衣の女性も気づいて振り返った。
雪の目には、その姿がスローモーションのように一コマずつ、ゆっくりと再生されていく。
白地に紺の花模様の浴衣がよく似合っている。
アップにした髪が上品な三十代くらいの若い母親だった。
小さな男の子の手を引いている。
その人は、雪の方をちらっと見ただけで、気にしていないようだった。
すぐに歩き出して雪の視界から消えていった。
「あ……」
雪は呆然とその場に立ち尽くす。
ゆっくりと動いていた時間が、急に早回しになったような気分だ。
まわりの世界の付いて行かない自分の気持ちを、持て余してしまう。
後ろから押し寄せる人と、前から来る人の波の間で、まったく動けないでいた。
(ママじゃない)
それだけは確かだ。
雪の記憶が戻ったということではなくて、端に、現実的ではない、と判断できた結果だ。
雪の目の前で、現実世界の時間が過ぎる。それに気づいた彼女は、抗おうする。時間を引き戻そうと試みているようだった。
実際、雪は、戻らない記憶の端を必死に掴んで、手繰り寄せようとしていた。
<手触りのいい白地の浴衣の袖を掴んだら、微かに樟脳の匂いがして、
見上げなくても、この人が自分の母親だと安心できた>
自分が三つか四つの時の花火大会の記憶。
+++++
「雪! 勝手に一人で消えるなよ。心配するだろ!」
雪は、驚いたように肩をぴくりと動かした。
心配した古代が、雪が記憶の中の母親を見送っていた間に、あちこち探し回ってやっと彼女を見つけた。
驚かさないようにと思っても、つい怒鳴ってしまうのも無理はない。それほど心配したのだ。
古代は、<突然消えてしまう雪>にトラウマのような思いがある。
「あっ、古代君。ごめん」
「無事ならいいけど、なんで急に走り出したんだ? つまらなくて帰ったのかと思った」
「ううん、そうじゃない。楽しいよ。花火は綺麗だし」
「だったら、どうして?」
「うん。母親を見つけたと思ったの。三歳くらいの時、花火を一緒に見た記憶が蘇って、浴衣姿のお母さんを、自分のママだと勘違いして、追いかけちゃった」
古代にそう話す事で、雪は、心と頭の中を繋げ、自分がどうして母親を思い出したのかを知った。そして思い出せない事実があることも。
「でもね、どんなママだったかは思い出せない。思い出したのは樟脳の匂いと浴衣の袖が柔らかくて
、肌触りがよかったな、ってそんなどうでもいいことだけ」
落ち着いた表情の雪だが、選んだ言葉からも寂しさを感じているように古代には思えた。
「そうか」
何か一言でも彼女の力になれるような言葉をかけらえたらいいのに、と古代は思うが
思い浮かぶ台詞は、どれもありきたりだし、彼女を元気づけられるとは思えなかった。
けれど、彼女が思い出した記憶の一部は、きっと<どうでもいいこと>ではないような気がしていた。
「君が感じた心の記憶ってさ」
上手く言えるかわからないが、古代は話したいと思って雪の方を見た。
「心の記憶……」
雪は、真剣なまなざしで古代を見つめ返した。
「うん。心の記憶が、そのまま思い出に残ってるんだよな。樟脳の匂いと浴衣の袖の柔らかさに、きっと三歳の君は、お母さんの優しさを感じてたんだよ。それを思い出したんだ」
だから、どうだと言いたいわけではなかったが、それだけ伝えられれば充分だ。
古代は、にこりと雪に微笑む。
ツンと鼻の奥を刺激したのが、樟脳の匂いなのか、はたまた古代の言葉のせいなのか。
そのどちらでもある。
と、雪は頷いてから彼の胸元に顔を埋めるのだった。
2016 0827 hitomi higasino
雪は、浴衣の裾が雑草が生い茂った地面に付かない様、軽く下駄のかかとを浮かせ、
膝を抱えてしゃがんでいる。古代は、そんな雪の隣でジーンズの尻が汚れるのもお構いなしで
所謂体操座りをして、彼女と共に空を見上げていた。
チューブの駅を降りたって地上に上がってみると、外は突然の夕立で、
今夜の花火大会の開催は危ぶまれたのだが、雨宿りをしようかと話している途中で、すっかり雨は止み
予定通り、花火が打ち上げられだしたのだった。
連続して大小、色とりどりの花火が夜空に打ちあがる。
ブンッと音がしてから、ひゅううっと空高く舞い上がる一尺玉が、大輪の花を夜空に咲かせると
雪は、手を叩いて喜んだ。
「わあっ、きれい!」
子どものようにはしゃぐ雪の横顔が、花火のオレンジ色に照らされているのを見た古代は
その妖艶さと、無邪気さとのギャップに、ドキリとした。
そんな古代の胸中を知らない雪は、額に掻いた汗をハンカチで押さえながら、恋人に向って微笑んだ。
古代は自分の心の中を見透かされたのかと、緩みかけた口元を引き締めて、というよりへの字に曲げて、急いで彼女から目を逸らした。
「あ、あのさ、腹減ったし、何か食わないか?」
古代は、ジーンズの尻についた汚れを手で払いながら立ち上がり、今度は汚れた手を、忙しなくジーンズで拭きとろうとする。
彼のジーンスは、尻も腿のあたりもドロだらけとなった。
「あーあ。何やってるの。これ、早く洗濯した方がよくない?」
「先に何か食おうよ」
「そんな恰好じゃ、お店に入れないよ」
雪は嘆息しながら、恋人の子どものような仕草を、指摘した。
「だから、屋台で買い食いする」
「全く、もう。古代君って」
「子どもみたいって言いたいんだろ?」
「わかってるのなら、どうしてそんなに泥だらけにしちゃうかな」
「とにかく! 早くなんか食おう」
と言う古代より早く、雪が屋台の通りを振り返っている。
「あ、」
「雪? イカ焼きがいいの?」
雪が何かを言いかけてやめたのを、古代は不思議に思って、どうしたのか訊こうとするが、
雪は、「待って!」と、古代の問いには答えず、慣れない浴衣と下駄で駈け出した。
「おい、雪!」
当然追いかけようと、古代も走り出す。
しかし、雑踏の中に彼女の姿を見失ってしまった。
多くの人が行き交う狭い通りで、似たような浴衣姿の女性が多いのだ。
「雪! どこにいる?」
大声で彼女の名を呼ぶが、それに答える声はなかった。古代の声も、また雑踏の中に埋もれてしまった。
++++++
「待って!」
自分の前、ニメートルくらい先の浴衣の女性を、雪は追いかけている。
しかし、追いかけられている女性は、まったく気づいていない様で振り返ろうともしない。
声が届かない。
気付いてもらえない。
置いて行かれる。
そんな恐怖感に雪は捉えられてしまい、足が動かなくなった。
「まっ」
思わず発した。心の底から引き留めたくて。
思ってもみなかったひとを、雪は引きとめようとしたのだ。
「ママっ!!」
大声で叫ぶ雪に、浴衣の女性も気づいて振り返った。
雪の目には、その姿がスローモーションのように一コマずつ、ゆっくりと再生されていく。
白地に紺の花模様の浴衣がよく似合っている。
アップにした髪が上品な三十代くらいの若い母親だった。
小さな男の子の手を引いている。
その人は、雪の方をちらっと見ただけで、気にしていないようだった。
すぐに歩き出して雪の視界から消えていった。
「あ……」
雪は呆然とその場に立ち尽くす。
ゆっくりと動いていた時間が、急に早回しになったような気分だ。
まわりの世界の付いて行かない自分の気持ちを、持て余してしまう。
後ろから押し寄せる人と、前から来る人の波の間で、まったく動けないでいた。
(ママじゃない)
それだけは確かだ。
雪の記憶が戻ったということではなくて、端に、現実的ではない、と判断できた結果だ。
雪の目の前で、現実世界の時間が過ぎる。それに気づいた彼女は、抗おうする。時間を引き戻そうと試みているようだった。
実際、雪は、戻らない記憶の端を必死に掴んで、手繰り寄せようとしていた。
<手触りのいい白地の浴衣の袖を掴んだら、微かに樟脳の匂いがして、
見上げなくても、この人が自分の母親だと安心できた>
自分が三つか四つの時の花火大会の記憶。
+++++
「雪! 勝手に一人で消えるなよ。心配するだろ!」
雪は、驚いたように肩をぴくりと動かした。
心配した古代が、雪が記憶の中の母親を見送っていた間に、あちこち探し回ってやっと彼女を見つけた。
驚かさないようにと思っても、つい怒鳴ってしまうのも無理はない。それほど心配したのだ。
古代は、<突然消えてしまう雪>にトラウマのような思いがある。
「あっ、古代君。ごめん」
「無事ならいいけど、なんで急に走り出したんだ? つまらなくて帰ったのかと思った」
「ううん、そうじゃない。楽しいよ。花火は綺麗だし」
「だったら、どうして?」
「うん。母親を見つけたと思ったの。三歳くらいの時、花火を一緒に見た記憶が蘇って、浴衣姿のお母さんを、自分のママだと勘違いして、追いかけちゃった」
古代にそう話す事で、雪は、心と頭の中を繋げ、自分がどうして母親を思い出したのかを知った。そして思い出せない事実があることも。
「でもね、どんなママだったかは思い出せない。思い出したのは樟脳の匂いと浴衣の袖が柔らかくて
、肌触りがよかったな、ってそんなどうでもいいことだけ」
落ち着いた表情の雪だが、選んだ言葉からも寂しさを感じているように古代には思えた。
「そうか」
何か一言でも彼女の力になれるような言葉をかけらえたらいいのに、と古代は思うが
思い浮かぶ台詞は、どれもありきたりだし、彼女を元気づけられるとは思えなかった。
けれど、彼女が思い出した記憶の一部は、きっと<どうでもいいこと>ではないような気がしていた。
「君が感じた心の記憶ってさ」
上手く言えるかわからないが、古代は話したいと思って雪の方を見た。
「心の記憶……」
雪は、真剣なまなざしで古代を見つめ返した。
「うん。心の記憶が、そのまま思い出に残ってるんだよな。樟脳の匂いと浴衣の袖の柔らかさに、きっと三歳の君は、お母さんの優しさを感じてたんだよ。それを思い出したんだ」
だから、どうだと言いたいわけではなかったが、それだけ伝えられれば充分だ。
古代は、にこりと雪に微笑む。
ツンと鼻の奥を刺激したのが、樟脳の匂いなのか、はたまた古代の言葉のせいなのか。
そのどちらでもある。
と、雪は頷いてから彼の胸元に顔を埋めるのだった。
2016 0827 hitomi higasino
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プロフィール

管理人 ひがしのひとみ
ヤマト2199に30数年ぶりにド嵌りしました。ほとんど古代くんと雪のSSです
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