入学式の開始時刻より一時間も早く、会場に到着していた少年は、
物珍しそうに、辺りをキョロキョロ見回しながら兄の後をついて歩いていた。

「ごめんな、進。兄ちゃんの都合で早く来させて。俺、これから一旦司令部に戻らないといけないんだ。
式には必ず間に合わせるから、ここで待ってろ」
兄と名乗る青年――古代守は、弟の頭に手をやり、帽子毎くしゃくしゃと撫でまわした。

「兄さん、それ、やめろって! 僕ももう子どもじゃないんだよ。今日からここの生徒になるんだし」
守は目を細めて笑い、「わかった、わかった」と言って弟の制帽の歪みを直してやった。

入学式が行われる会場には、まだだれも来ていない。
「来客用の席にでも座って、待っていろ」
じゃあな、と守は弟に言い置き会場を後にした。

会場の準備は万端だと思われた。紅白の幕や、壇上に活けられた花、
来賓用の椅子が並べられた横に、グランドピアノ。
誰もいない静かな会場に、足を踏み入れた。

(今日からここの生徒か)
少年は紅潮した頬をわずかに膨らませた後、ため息をつくように、息をふうっと吐きだした。

――と、その時。

カタン。

会場の前方から音がした。続いて小さくキィッと何かが軋む音が。

途端に、落ち着かなくなった少年は、音が聞えてきた方向に目を向ける。
すると、一人の少女がピアノの前に座り、鍵盤をたたき始めた。
実際、叩くような弾き方だったのだ。

音楽のことはよくわからないけれど、それはないんじゃないかと思われるほどそれは陳腐に聴こえた。

まだ、父が健在だったころ、好んで聴いていたジャズの曲だ。
たぶん同じ曲なのだろうが、少女の弾くそれは、あまりにもアレンジが過ぎていて酷いとしか言いようがなかった。
同じ個所で躓くと、何度もそこを繰り返していて、少年にとって騒音の域にまで達していた。

だから思わず呟いてしまったのだ。

「ひっでえな」

呟いたはずの声が、会場に響いた。

(あ、いけね……)
声の主は、咄嗟に来客席に体を埋めた。

「だ、だれ?」
ピアノの少女が、自分を責めようとして立ちあがる。

白いワンピースの胸元にコサージュがあしらわれている。
編みこんだ髪をリボンで束ねて肩に垂らしていた。ここの生徒ではないようだった。

「あ、あの、ごめん。僕です」

隠れていても仕方がないと悟った少年が、のっそりと椅子から起き上がった。
そして両手をあげて見せた。
少女に”完全降伏”を伝えるために。

「ひどいって言った?」

少女は目を吊り上げて、明らかに怒っていた。

「えっと、ごめん。”ひっでえな”って言った」

少女は、この失礼な少年を睨みつけている。
目にはうっすらと涙を溜めて。
(え、なんか、まずい……)
少年は誤解を解こうと彼女に向かって頭を下げた。
「ごめん、悪気はなかったんだ。その曲、昔よく聴いてたからさ……つい」
「……」
まだ完全に怒りは鎮まらなかったけれど、素直に謝るこの少年に、少女は
何も言えなくなってしまった。



「雪、こっちに来なさい。今日は大人しくしていると約束しただろう」
その時、物腰の柔らかそうな男が、少年のすぐそばで少女を呼んだ。
深々とお辞儀をしている少年と、その先にいる少女を見やりながら、
「君、この子が何か言ったかね? 気を悪くしないでくれたまえ」
と、進に小声で告げる。

「お父さん、何でもないわ。行きましょっ!」

少女は顔を真っ赤にしながら、お父さんと呼んだ男の腕を取り、少年の横を足早に去っていく。

呆気にとられて、少女の行動を見ていた進に、その少女――雪は
振り返りざま(イーーーーダッ)と顔を思い切り歪ませたのだった。





2013 1212 hitomi higasino

ハツコイコダイ
イラストby高梨じぇるさま

【追記 】
なんと! 高梨じぇるさまから 拙作をイメージした素敵古代君と雪ちゃんが届きました!!!!
こちらは制服姿が初々しい学生古代君vシブでの表紙の色に合わせたトーンを使ってくださいましたv
初恋編にぴったりvv 青春の青ですv じぇるさま、ありがとうございました!!
2014 0605 hitomi higasino
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