(いつもながらよくこのタイミングでかかってくるものだ)
ある意味古代は、感心していた。土方からの着信は、まるでこちらの行動はすべてお見通しだと
いわんばかりの絶妙さなのだ。
彼女の携帯の着信音も、土方からのものだけは、はっきりと聞き分けられる。

軽い二日酔いの頭で、あまり色々考えると、また頭痛がひどくなりそうだと
古代は、これ以上土方のことを考えるのはやめた。
(とにかくシャワー浴びてさっぱりしよう)


古代がバスルームに直行したのを確認してから、雪はおもむろに携帯電話に出た。
「はい、もしもし。雪です」
相手は土方だと確認済みだ。
慌てる素振りを見せないように一つ深呼吸をしてから。
そして、起き掛けだと気付かれないように意識して高めの声を出した。
「起きていたのか。近くのコンビニに用があったからな。新居に寄ってみようと思うのだが」
――しまった! まだ寝ている演技をすればよかったのかも……。
見えていないことをいいことに、雪は頭を抱えて座り込んでしまった。
「あの、これからシャワー浴びるんです、おじさま……」
うまく言い訳できたかと思ったのもつかの間。
「もう下のエントランスまで来てる。おまえの新生活ぶりを早くこの目で確かめたくてな。
開けてくれんか?」
そうまで言われると、ダメとは言えなくなってしまう。
「服、脱いじゃってるんです……」
冷や汗が出てきた。声も上ずって喉がカラカラだ。
「心配しなくても長居はしない。玄関で顔を見たらすぐに帰る」
穏やかな調子で言い放ち、ここまで強引なのだからこれ以上は断れない。
仕方なく雪は、わかりました、と開錠したのだった。
パジャマを着たままで、まずはバスルームで洗髪中の彼に命令口調で伝えたのだった。
「古代君! すぐにシャワーを止めて、静かにじっとしてて! おじ様が来るの!」

古代は彼女の新居での初シャワーで浮かれ気味であったが、雪のその一言に背筋が凍る思いだった。
「なんだって! 今から? えええっ!! もう向かってるのか。わ、わかった。音をたてないようにしておく」
慌てた古代は、シャワーコックを反対方向に捻ってしまい、まともに冷水を頭から浴びた。
「つ、つめてぇ!」
「静かにっ!!」

ソファの上にあるカーディガンをひったくるようにして、パジャマの上に着込み、
チャイムの音とともに、髪を整え、張り付けたような笑顔で、雪は土方を迎えたのだった。
バスルームの古代には気の毒だが、少し我慢してもらうほかない。
数秒のうちに算段し、なんとか間に合った。完璧とはいかないまでも、これで大丈夫なはず。



だが、しかし。



チャイムが鳴り、パジャマ姿の雪がにこやかなドアを開けた。
「おじ様、おはようございます」
「ああ、おはよう。雪。朝早くからすまんな。どうだ? 元気か」
「ええ。昨日は皆来てくれて手伝ってくれたから」
笑みを浮かべる雪だが、バスルームの古代が気になって仕方がない。
半分開けたドアの外で、土方は見るともなしに中を覗き込んでしまった。

雪は何か隠し事をしている。
彼女が頻繁に髪を掻き上げる仕草をしたので、ピンときたのだ。
「まさか……雪」
まさかと思っていたことが確信に変わった。
顔は青ざめ、合わせていたはずの目は泳ぎ急に無口になったのだ。
「古代が居る……のか」
慌てていて隠し忘れた男物の靴が、不自然に玄関の端に置かれてあった。


「…古代、だな?」
「……」
「中に、入れてくれないか?」
「わかりました。どうぞ」
雪は、はい、ともいいえ、とも言えずにいる。

「寝室か? 古代は」
「いえ、あの」
「呼んできなさい」
ここまで来たら、何を言っても言い訳になってしまう。
条件がそろい過ぎていて、何も悪いことはしていないはずなのに
どう言い訳しようかと、そればかりが気になった。
「おじさま、怒らないで。お願い」
雪はようやくそれだけ言うと、古代のいるバスルームに向かった。


ドアを軽くノックすると、古代は安堵の声を漏らした。
「土方さん、帰った?」
「いいえ、古代君に用があるって」
シャンプーの泡が立った濡れ髪のまま、古代はドアを開けた。
雪は恥じらいもあって、後ろ向きのまま土方の言葉を告げる。
「呼んできなさいって。ごめんなさい、古代君。あなたは何も悪くないのに」
古代は決心してシャワーですべて洗い流したあと、雪と土方が待つダイニングに向かった。

気まずい空気が流れた。
「おはようございます」
生真面目な古代は、濡れた髪のまま土方に頭を下げる。
「こんなときに、挨拶なんぞできるか」
威圧感たっぷりの低音で言われると、古代はなんとも返事しがたくなった。

「初日からこんなに残念に思う事になるとはな」
「ごめんなさい、おじさま。でも誤解なんです。古代君がここに泊まったのは、昨日酔っぱらって寝ちゃったからなの
本当よ。ずっと寝てたもの」
「すみませんでした。自分は帰るつもりだったんです。それが酔ってしまってそのまま寝込んでしまいました」
「何があって、何がなかったのか。そんな事を聞くためにここに来たのではない。古代、オレはおまえに
言ったはずだ。交際自体反対はしないと。ただひとつ約束を守ってくれればいいと思っていた。
しかし、自由になった途端これでは、オレは何を信用すればいいのだ?」
「……仰る通りです、自分は軽率な行動をとってしまいました……」
「それは私も同じ事なの。おじさま。古代君だけが軽率だったわけじゃない」
「ここへの出入りを禁ずる。雪との交際も禁ずる。出て行きなさい」
「それは……承服できません。ここへはもう来ません。けれど雪と別れる気はありません!」
「いや! そんなの絶対嫌です。おじさま。私古代君が好きなの!」
「こんな軽率なヤツにお前を任せられるか! 雪の相手は俺が選ぶ」
「そんな! 横暴だわ! 私は古代君じゃなきゃ嫌です」
「雪とは別れません。今日は帰りますが、お詫びに伺います」

古代は土方に一礼し、フードを被って雪を見た。
彼女は目に泪を浮かべていた。
「大丈夫、雪。俺は諦めないから」
雪にそう告げてから土方と目を合わせて古代は宣言した。
「必ず謝罪に伺います」
「……」
しかし土方は無言で背を向けそれを否定したのだった。
こっちを見ようともしない土方に、もう一度古代は頭を下げて部屋を出た。








引っ越したにもかかわらず、その後二か月間雪は土方家に連れ戻されていた。
その間も、古代は度々謝罪に訪れていた。
ある時は「古代です」と名乗るとすぐにインターフォンを切られたり
「帰りなさい、会うつもりはない」と土方に怒鳴られたりもした。
そのうち、誰に入れ知恵されたのか、ある時から彼は土産持参で来るようになった。
相変わらず土方は会おうとしないのだが。
古代は戦法を変えたのか、「奥様に」といって菓子を持ってくるようになっていた。
夫人は雪を呼んで「古代さんのお土産なの」と夫に聞こえるようにいい、雪と二人で
お茶を楽しんだ。二人がいると決してそれを口にしない土方だったが、一人でいるときに
こっそりつまんでいるようだった。

頭ごなしに反対したいわけではない。二人はもう大人なのだから、駆け落ちでもされたら
後見人とはいえ、土方は何も言えなくなる。雪と古代がした言い訳は真実だったかもしれないが
どうにも彼らに裏切られた、と言う思いが先にたってしまい賛成しかねるのだった。











年が明けてすぐ、古代は引っ越し先を探し始めた。すぐだったはずの官舎の取り壊しは
結局春先にまで伸びていた。雪の引っ越しが先に決まっていたのも関係して、自分はもう少し
後でもいいと考えていたが、例の外泊事件をきっかけに雪からも急かされ始めている。
二か月の土方家へ出戻り期間、古代と二人で会うことを一切禁じられたのだ。

とはいえ、二人とも成人した大人で、土方の目の届かないところでは密かに連絡を取り合って
昼間の休憩時間こっそり会ってもいたのだが。
雪も古代も派手な行動は控え、その間に土方の態度が軟化するのを我慢強く待っていた。
春になり、古代の引っ越し先も決まり、土方にもわずかながら古代を許そうという思いが
芽生え始めた時だった。

週末の朝。新居へ戻っていた雪が、土方家を訪れた。
ジーンズに長袖のTシャツ。ラフな装いの雪を、土方はコーヒー片手にちらりと見やった。
「今日は、古代君の引っ越しなんです。私、お手伝いに行ってきます」
「どうして、わざわざそれを報告に来た? 黙っていればわからんだろう?」
「どうしても、おじさまに認めてもらいたいたくて、です。お願いです。私たちを許してください」
夫人はキッチンで、何も言わずに事の行方を見守っている。
雪が土方家に戻っていた間、古代は熱心に週に一度は謝罪のために訪れていた。
土方は居留守を使うことはなかったが、その間ただの一度も彼と会うことはなかった。
古代が引っ越し先に移ると同時に、彼にもそろそろ新しい辞令が下りるはずだった。
そうなれば、古代は雪としばらく会うことができなくなる。

「雪さん、これを持っていって」
「おばさま、これは?」
「古代さんへの引っ越し祝いよ」
そういって夫人は包装された箱を雪に手渡した。
「ありがとう!おばさまっ!!!」
帰り支度を始めていた雪は、履きかけのスニーカーを脱ぎ蹴飛ばして、夫人に抱きついた。
大喜びの雪に、居間のソファで座っている土方は目を細めて言った。
「あいつはしばらく宇宙勤務だそうだな。戻ってきたら、会ってやる。古代にそう伝えておきなさい」
「はい!」
すっかり大喜びして慌ただしく帰って行った雪を見て、土方は溜息をついた。
「おまえは古代贔屓だな。いつそんなものを用意していたんだ?」
「ご自分だって気になさっていたくせに」
本を上下逆にして持っている土方の手元を正してやって、夫に言うのだった。






ここは新築の高層住宅だ。
彼が以前の官舎から持ってきた家具は二人用の小さなダイニングテーブルセットだけ。
他はすべて備え付けのものだったから、テーブル以外はすべて雪の指示で買い揃えた。
二人用のテーブルは簡素なものだった。話に聞く彼の兄は大柄だったらしいから
このダイニングセットでは、窮屈だったのではないか。
古代が言うように、物が少なく生活の臭いがしてこない。男の独り暮らしとはこんなものなのか
と雪は不思議に思った。
彼の部屋に入るのは初めてだった。

「お邪魔します」
緊張してその部屋に雪は初めて足を踏み入れる。
きっとヤマトへ乗り込んだ時と同じくらい、荷物が少ない。
彼はスタッフサック一つに当座の荷物を詰め込んでいた。その他には封が開いたダンボールが5箱。
雪の手伝いがなくとも簡単に片付く範囲だった。辺りを見回して古代に尋ねる。
「私は何をしたらいいの?」
「荷物を解いて。衣類はこっちに」
「はあい」
彼に指示された通りに、雪は少ないダンボールの封を開けて荷物を整理する。
新しく買い揃えた家具や、電化製品が続々と到着し始めて、彼はその応対に追われていた。

全ての封を解いて、箱の中身をまず確認して。
雪の知っている彼の私物を、丁寧に扱い、取り出していく。
こっちは、休みの時によく着ているデニムのシャツ。彼の肌によく馴染んでいて、遠くから
このシャツを見かけただけで、彼だと気が付くくらいだった。
『兄さんは忙しいからって、アイロンもかけずに、シャツもなにもくしゃくしゃのまま着ちまうんだ
みっともないから、俺がアイロンかけてやってた』
男の独り暮らしのわりに、彼がよれよれの着の身着のままでいる事はなかったので、ある日雪が尋ねたことがあった。
すると、古代は苦笑しながらそう答えたのだった。
きちんと折り畳まれた衣類を取り出し、鼻先に持ってきてみる。
(古代君のニオイ)
彼に抱かれているような錯覚を起こして、雪はシャツに唇を寄せてしまっていた。

「何やってるの?」
「え、あ、なんでもない!」
古代がそんな自分を見て笑っている。恥ずかしくなった雪は、何もなかった振りをして、次々と
中から衣類を引っ張り出していった。




丁寧にファイルされた写真の中に、ヤマトの航海中に初めて二人で撮った写真があった。
その一枚だけ大きく引き延ばされてプリントしてあったので、雪はすぐにそれを見つけられた。
一枚を見ると、その下のもう一枚、さらに一枚、と作業の手が止まり懐かしく思い出してしまう。
(あら?)
ダンボールの一番下に入れられた小箱を見つけた雪は、きっとそれも写真だろうと思い、
取り出して箱を開けてみた。中にあったのは幼いころの古代とその家族のもの。
(これはお兄さん)
写真でしか知らない彼の家族は、その中で微笑みを湛えていた。
一枚ずつ取り出して眺めていると、真田と並んで写真に写る守の姿があった。
そして。その中の一枚を見つけてしまう。
映っていた人物を見て、雪は愕然とした。
(なんで? 新見さん???)
それは今の新見一尉からは想像できないくらい笑顔の写真だった。
今よりも少し若いころだと思われた。
長く付き合っていた彼女。それは古代が言っていた初恋の相手ではなく、この人だったのか。

雪は混乱した頭で必死に考えを整理しようと努めた。
「雪、これはどこに設置すればいいのかわかる?」
「ちょっと、待って」
気まずくなって、見ていた写真を裏返しにして雪は立ち上がった。
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
「古代君、あの」
「どうかした?」
「あの、これ写真よね?」
「ああ。家族のもの。兄さんの遺品なんだ」
「お兄さんの?」
「うん。たったそれだけ」
古代の返答に、雪はなんと答えていいかわからない。窮屈なダイニングセットで
彼の兄は足を折り畳んで座っていたのだろう。何も残さずに宇宙に逝った彼の兄。
生きろという言葉だけを弟に託して。雪は何も言えなくなる。

雪の様子が変わったことに気付いた古代は、それとなく彼女に問いただした。
「心配ごと?」
「ごめんなさい。中身見ちゃったの。あの、新見さんの写真があったの。どうして?」
「ああ、あれか。たぶん兄さんの私物だと思う。はっきりしないけどね」
「そうなの?」
「うん。真田さんに訊いてみようかと思ってる。勝手に処分できないしな」
一瞬でもひょっとして?との疑惑が浮かばなかったわけではなかったが。
(古代君の恋人じゃなかったんだ……)
安堵したい気持ちと、それとは別に切なさがこみ上げて、雪は複雑な表情を作った。

「守さんの、恋人だったのかな? 新見さん」
「さあ? 訊いたことないからわからないな」
「恋人だったら、もっとたくさん写真があったはずじゃないの?」
「うーん。どうだろう? メ号作戦に参加する前に、かなり荷物を整理してたみたいだから
その時に返したか、処分したか」
「身辺整理?」
「そういう事だろうな」

――身辺整理。
そんな一言で、二人はその関係に終止符を打ってしまったのか。

今まで、古代は三度兄の死を確認していた。知らないところで新見もまた、古代守の死を
確認させられていたのかもしれないと思うと、雪はやりきれなくなった。

「前に、俺の部屋が寂しいのは嫌だって、言ってたな」
古代は、雪の頭に手をやって、くしゃくしゃと髪をかき回した。
「雪の持ち物、一杯持ってきていいよ。それなら寂しくないだろ?」
「うん」
新見と守の切ない別れと、自分と彼を重ねてしまいそうになる。
雪は複雑な思いを抱えたまま、彼の胸に頭を擦り付けて甘えたくなった。







*****

引っ越しが完了して落ち着いた頃、古代は真田に連絡を入れた。
多忙を極める真田とは、滅多に会えない。その日も何度か電話をかけていて
やっと繋がったのが深夜零時になる数分前だった。
兄の遺品の中から新見の写真、真田との二人の写真が出てきたこと。
新見の写真をどう扱えばいいか困っている、と正直に話した。

それに対する真田の返事はこうだった。
『わかった。明日昼の休憩時間に新見君を食堂に呼んでおく。彼女に写真を渡すといい』
『兄と新見さんは、一体どういう? 真田さんはご存知なんでしょう?』
『メ号作戦前に二人は別れたと、守から聞いた』
真田の言葉は簡潔だった。
(事実がわかればそれでいいか)
事細かに生前の兄の恋愛話を聞くのは、苦痛というほどでもなかったが、想像に難く
古代は、どこまで聞いていいのかの線引きをする余裕を持てなかったのだ。
「守は君と森君のことを喜んでいると思うぞ」
唐突にそう言われて、古代は咄嗟になんと答えるべきかわからなかった。
「あの、兄は?」
「あ、いや。気にしないでくれ。君のことを心配していたからな。きっと今の森君とのことを
あいつは喜んでると思う。それだけのことだよ」
「はあ」
「森君と幸せになれって言ってるんだ」
「ああ。はい。そうですね」
要領を得ない返事しか返せなかったが、真田の気持ちは素直に嬉しかった。
古代は携帯電話の向こうの真田に頭を下げていた。





「ちゃんと説明しなさいよ?」
会っていきなり新見にそう言われて、古代は面食らった。
「あの、何をでしょう?」
新見の自分に対する態度が、いつもいささか上からの物言いで、正直古代は彼女の扱いがよくわからない。
「私とここで会ったこと。森さんに、よ」
「話してもいいんですか? 新見さんと兄貴とのこと」
「言わなきゃ誤解しちゃうでしょ? 察してほしいっていうのは男の甘えよ。あなた達くらいの年頃だとね
何でも話して欲しいものなの。」
「はあ」
彼女を前にして、昼食に手をつける気分になれない。仕方なく渋めのお茶だけを啜る、という行為を繰り返す羽目になる。
「この年になればわかる事もあるの。お兄さん、きっとあなたと森さんの事喜んでると思うわ」
薫の口から聞く兄の話は、兄の知らない一面を聞かされているようで、古代は少々戸惑った。
「僕は、兄と新見さんが付き合っていたなんて全然知りませんでした」
「言わなかったでしょ。彼。お兄さんはあなたのことよく話してたわよ?」
「自分は子ども扱いでしたから」
「そんな事ない。あなたはお兄さんにとっての生きがいだった。これは私が貰っておくわ。ありがとう。進クン」
「え? ススムクン……?」
「じゃあね」
封筒に入った写真を、彼女は内ポケットにしまいこんだ。
新見の表情からは、彼女が何を思うのか全く読み取れない。真田を仲介してのお願いだったからかもしれないが
喜んでいる風でもなく。かといって不快感を露わにするでもない。
写真は古いものだったから、彼女にとっても、それはもう風化途中の過去でしかないのか。
真田とは、時々兄の話をするが、新見とは今後一切兄の話はできないだろう、という確信だけはあった。





*****

仕事帰りのサラリーマンや、軍の関係者だろうと思われる人で、駅構内は混雑している。
「あ、すみません」
地下鉄の駅の改札で、雪はうっかり人とぶつかりそうになり、謝ろうと顔を上げて驚いた。
「新見さん?」
「あら」
「今帰りですか? 残業?」
「そう。どこも人手不足でしょ。森さんも残業ね?」
「はい」
「今日は早い方よ」
「そうなんですか」
雪は新見と連れ立って歩き出した。
同じ方向のホームへと向かう。
「彼氏のところに行くの?」
新見が意味ありげに笑うので、雪は赤くなって答えに窮した。
「いえ、自分の部屋に帰ります」
「古代一尉とは上手くいってるの?」
「えっと、仲良くしてます……」
時間通りに地下鉄がホームに入ってきて、二人は乗り込んだ。
新見には他にも聞きたいことがあったが、なんとなく聞きづらい。
ドアガラスに写る新見は少し疲れて見えた。ヤマト航海中もあまり話した事はなかったから
何からどう話せばいいかわからなくて、雪は戸惑っている。
そんな感情が顔に出てしまったのかもしれなかった。
出入り口に近い場所に、二人は並んで立っていた。
ドアに写る雪を見上げて新見が話し始める。

「昨日、食堂で会ったわよ。古代一尉と」
「あ」
「知ってるんでしょ? お兄さんが持ってた写真のこと」
「はい」
「返してもらったの」
「そうなんですか」
「訊きたそうだから言うわね。そうよ。私たち長い間恋人同士だった」
「新見さん……」
「ちゃんとお別れできたからいいの。私たち一緒に生きていく覚悟がなかった。それだけよ」
車体が右にカーブすると、釣られて雪も新見も右に体を持って行かれそうになって、足を開いて踏ん張った。
「あなたは、どう?」
「どうって?」
「古代一尉と生きる覚悟はある?」
カーブを曲がり切って直線になると、速度が増して、身体が揺れた。
新見から発せられた言葉の意味がすぐに理解できない。
雪は息を飲んだ。
ある、と即答できないでいる。どうしてだろうか。
「今はまだ考えなくてもいいのかもしれないけど。一つ忠告しておくわ。いつか選択しなくちゃ
ならない時がくる」
「私は、覚悟はできてます」
「そう?」
口元は笑っていたが、眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
この車内は明るすぎる。もっと柔らかい照明でないと、何もかも映し出されてしまう。

――嘘がつけなくなる。

新見は尚も続けた。
「第二バレラスであなたがやったことは報告書を見て知っています。軍人としてあの行動を否定は
しない。だけど私はあれを美しい行動とは思えない。森さん、あなたは生きてるの。意味があって生きてる
古代進くんと生きたければ、それ相応の覚悟が必要よ」
騒音で時々聞き取りにくい会話だったが、新見の強い口調に雪は圧倒されて、はっきりとした答えを
すぐに出せずにいる。
車体が大きく左右に揺れ、駅のホームに滑り込む。
ドアが開くと、新見はそれまでの表情を一変させ、雪に柔らかく微笑んだ。
「いつか一緒にお茶しましょう。お兄さんから聞いた進くんの話、してあげる」
「はい。是非」
閉まりかけたドアの内から、雪は早口で答えた。



*****
最終回 プロポーズ
ヤマトが地球に帰還して約一年が経った頃。
元クルーの相原からの一斉通信で、加藤と真琴の子ども誕生の祝いに駆け付けることになった。
古代は来週からまた、輸送団の護衛で宇宙への任務が決まっている。雪の誕生日に地球にはいない。
渡そうか、先延ばしにするか。
いやそれよりも言うのか言わないのか。そしてまだお許しの出ていない宙将への謝罪はどうするのか。
色々考え出すと、どれも簡単には解決できそうにない。考えること自体億劫になる。
古代はさっきからエントランス付近で悶々としている。
しかし、雪の寂しそうな後姿が頭に浮かび、これではいけない、と古代は意を決して土方家のインターフォン
ボタンを押した。
「はい。土方です」
画面に映ったのは夫人ではなく土方本人である。
「古代です、土方さん、おはようございます。あの、少しでもお話する時間をくださいませんか?」
古代はそれだけを一気に話す。毎度のことではあるが、どっと背中に汗を掻いた。
「……上がってこい」
「え?」
「話を聞いてやると言っている」
「あ、ありがとうございます!!」
今日も断られるのではないかと思って俯き加減だった古代の顔が、ぱっと明るくなる。
そこからは無我夢中で、土方に何を話したのかはよく覚えていない。
居間に通された古代と、ソファに向き合う形で座った土方は、「今日子はおまえの味方でな。
雪と二人でいると、俺は肩身が狭い」と言って笑い、話し始めた。
「雪はお前しかいないと言い張るのでな。将来を共に歩いていけるのはお前だけだと」
「自分も同じ気持ちです。なんと言われようと雪を諦めません」
「若いころの過ちはよくあることなのかもしれないが。雪もおまえも、今までの戦争で
傷ついている。それを癒しあう気持ちを、取り違えてはいけない。責任ある行動を、お前にも雪にも
俺は望んでいる。それが二人にとって幸せな未来へと繋がるのであればな。わかるか?」
「はい」
「そうか。ならばもういい。雪を笑顔にしてやれ。それはお前もだ」
「あ、それは結婚前提の交際を認めていただいたってことでいいのでありますか?」
「何度も言いたくない。雪と約束しているのだろう? 早く行きなさい」
「土方さん、ありがとうございます!! 必ず二人で幸せを掴みます!」
古代はもうソファから尻を半分浮かせて、気持ちは雪の部屋に飛んでいた。
土方は苦笑いを浮かべて、この青年の慌てぶりを心の中で微笑ましく思うのだった。








*****


「可愛かったわね」
「ああ。原田くんに似てたな」
加藤夫妻に子どもが生まれたと、相原から一斉メールが送られてきたので
古代は雪を伴って、祝いに駆け付けた帰りだ。
「加藤の抱き方は、なかなかサマになってたな。おむつ替えも得意らしいよ」
「あの加藤さんがねえ。人って変わるものね」
「守る家族が出来ると、人間何だってできるようになるもんさ」
「……古代君も?」
「え? 俺?」

久しぶりにポケットの中を弄った。しばらくは吹いていない。
いつも入っていた金属の硬い質感を、指先が探していた。
左ポケットの、四角い小箱の感触に安心するどころか緊張が増した。
「雪」
加藤家からの帰り道。
土方へのお詫びを聞き入れてもらえたことを先ず雪に伝えると、
彼女は飛びあがって喜んだ。
宇宙に飛び出せば、しばらく彼女と深い話はできなくなる。喜ぶ彼女を見て
今しかない、と古代は心を決めた。
「ずっと言おうと決めてた。だけど言い出すタイミングがなくて」
「いいの。はっきり言ってもいいのよ。私、覚悟できてる」
雪は繋いでいた手を離した。
「少し時間ある?」
「何処かに行くの?」
「地上へ。出てみたいんだ」
「いいわよ」
言葉少なに雪は、古代の提案に同意した。
「雪?」
どこか余所余所しい態度の雪を、古代は訝しむ。
彼は雪の左手を取って、自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「あ」
「こうすると、俺も雪も暖かいだろ」
雪の反応が気になるけれど、それよりも自分の気持ちを伝えたい。
そんな彼の気持ちは、ポケットの中の繋いだ手から、確実に彼女に届いている。
雪が一旦離してしまった手を、古代は、簡単に手繰り寄せて繋いでしまった。
自然と雪も、古代に引っ張られるように足早になった。
「雪と一番に行きたかったんだ。地上はこれから建設ラッシュだろ? 
昼間は工事ばかりで、なかなか上がれないからな」
地上までのエレベーターに二人して乗り込む。
地上に近づくと、以前の名残で「汚染地域につき注意」とアナウンスが流れ
二人は一瞬体を強張らせたが、古代は雪の体を抱き寄せて耳元で一言「大丈夫」と告げた。


ずっと聞けずにいたことを、地上に出たら聞いてみよう
それより早く、彼から切り出されてしまったら。
ヤマトのエレベーターで時々同乗した時。短い時間の間に、自分は彼の横顔を盗み見た。
それで目が合いそうになると、知らんふりを決めていたのを雪は思い出していた。
目があっただけで、心拍数が上昇した密室での会話。今でもそれはさほど変わっていないと思う。
何事にも真直ぐな彼の視線は、時に苦しくなる。
何度も確かめて、これでいいんだと言い聞かせても、それは不安と言う名の靄になって胸の中に沸いてしまう。
彼の兄と、元恋人の関係を、当の新見から聞かされた時、彼女に言われた言葉がずっと心のどこかで引っかかっていた。
『あなたは、古代進と生きていく覚悟があるのか?』と。
自分の失ってしまった過去も、彼は引き受けると言ってくれたけれど、ならば私は彼の何を引き受けられるのだろう。
彼と生きていく覚悟は、彼にだけ大きな負担を背負わせることにならないか。


エレベーターのドアが開き、地上に降りた二人を、月明かりがぼんやりと照らす。
「不思議ね。私、月を地上から見た記憶がないはずなのに、月がこんなふうに見えることを
知ってる」
「覚えてるんだよ。中原中也と同じさ」
「きっとそうね」


*****

当てもなく、二人は並んで歩いていた。街灯は間隔をあけて灯っていて、薄暗い。
古代は、雪の顔がはっきり見えないのは残念だと思う反面、緊張を隠しきれない自分を
見られなくてよかったと安堵していた。
復興途中の地上では、立ち入り禁止のフェンスが、ことごとく恋人たちの行く手を阻んだ。
まだ歩き回れるほど、整備が進んでいるわけではない
整備中の公園区画もフェンスがびっしりと並んでいて、中に入るのは、難しそうだった。


「ねえ、話って何なの?」
彼の態度に不安が過って、雪は思い切って尋ねてみた。
「うん」
古代はポケットに手を突っ込んで、小さな箱を握りしめた。
「ヤマトの中で、君に言ったろ? 一年後にもう一度言うって」
「それって……」
雪の頬がみるみるバラ色に染まっていく。
が、すぐにその表情を引き締めて神妙な顔つきになった。
「結婚しよう。俺たち。雪の覚悟は俺が全部引き受けるから」
「古代君……」
「ん? え、イエスじゃないの?」
「私、古代君に聞いておきたいことがあるの」
雪は詰めていた息をふうっと吐き出した。
「古代君がいう、私の覚悟って何を指してるの?」
「それは、君の人生」
「私も知らない過去も?」
「君の過去を、君は覚えていない。俺も知らない。だけど今の君はここにいて
俺の隣で呼吸してる。明日も明後日も、この先ずっとそうしててほしい」
「……私が、取った行動については責めないの? 私、あの時、イスカンダルを目前にして投げ出そうとしたことが」
はっきりと口にすることを雪は恐れている。古代を置いて自分が先に逝ってもよいと思っていたわけでは
ないけれど、雪の第二バレラスでの行動は、そう取られても仕方のない行動だった。
新見にも『軍人としての行動』としては否定できないけれど、決して美しい行動じゃないと意見された。
「君が言ったんだよ。俺たち、三度も出会えたんだって。だからきっと離れられないんだ。君は一度離そうとしたのかも
しれないけれど、離さなかったんだよ。俺たちの赤い糸は、きっと太いライフラインなんだ」
「信じてくれるの?」
「信じてる。失敗したっていいんだよ。二人で学んで行こう。だから、あの」
「古代くんっ!!!」
雪の目から大粒の泪が頬を伝い、流れ落ちる。
彼女は行き場を失った子供の様に、ただただ泪を流し、立ち尽くしている。
「もう離れない……私、あなたと生きていく」

古代は、彼女の髪を、柔らかな細い肩や背中を撫で続けた。彼女の肩の震えがおさまるまで。
そして、優しい眼差しを向けてこう言った。
「おいで。大丈夫」
父親が小さな娘を呼ぶように、彼は大きく手を広げて、雪を呼んだ。
「約束する。何があっても俺は離さない。どこに居ても」
「うん」
抱きつかれた勢いで、古代は後ろへ倒れそうになった。ポケットに入ったままで
渡せていない指輪を気にしたままで。
今の気持ち、感じたままをどう言葉にしていいのかわからなかったけれど、はっきりしているのは
『愛してる』では全然足りないということ。
「大好き」
「俺も」
千回でも一万回繰り返しても、きっとまだ足りない。

「本物だよ」
「わかってる」
「ウソじゃない」
ククッと雪が笑い出す。
「私、古代君を疑ってなんていないよ?」
「うん。それは俺もわかってるんだ。でも、なんとか伝えたくて、言葉を探すんだけど
どれも今の気持ちにぴったり来ないんだ」
「そう? なら出てくるまで言い合ってみる?」
「愛し……いや、これは違う」
「違うの? 愛してないの?」
いつかユリーシャに尋ねられて焦った過去を思い出して、古代は吹き出しそうになる。
「それ、レプタポーダへの偵察任務の時にユリーシャに訊かれて困った」
「私の知らないところで、ユリーシャとそんな話をしてたのね? で、どうなの? あ・い・し・て・る?」
「あ、あい、あの」
「愛してないの?」
古代が恥ずかしがって言えない言葉を、彼女は簡単に言ってのける。
「私は、愛してるよ」
「……僕も」








人影は全く見当たらない。月も朧げに光り、二人きりの世界を浮き立たせている。
切れかけの街灯が、チカチカと二人の影を点滅させている。
瞬く星の海の中。デブリが散乱する中を、たった一人の大切なひとを探し当てたあの時を思い出す。
互いに見つめあって、このひとしかいないと確信して。
近づいて、重なった。
初めて重ねた時と同じ。優しいキスだった。
プロポーズ ココママさん



「雪、俺君に渡したいものが……」
古代は、雪の肩を抱いていた手を解いて、ポケットの中のものを取りだそうとしたが
街灯に設置されているスピーカーから『蛍の光』が流れ始めて、思わず手を止めた。

「え?」
「なんだろう?」


『本日、メンテナンスの為、午前零時をもちまして、エレベーターの運転を停止いたします』
メロディのあとに流れたアナウンスとともに、すでに二人は駈け出していた。
「雪、急ごう! エレベーターが止まっちまう!」
古代が雪の手を取った。二人で来た道を走る。
「古代君、さっきは何て言いかけたの?」
「と、とりあえずエレベーターに乗ってから、話す!」


二人でならどんな道だって歩けるし、走っていける。
等間隔の街灯では物足りないくらいの薄暗さの中、月明かりが手伝って二人の道を照らしてくれていた。







end?



ウラ R18へと続きます(urashokoへ)





2014 0214 hitomi higasino


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最後までお読みくださってありがとうございました!
イラストはココママさまですv 切ない表情の二人に胸きゅんv
最後なので、皆さんに楽しんでいただけるよう、前もってお願いしておりました^^
アップできて私もとても嬉しいですvv ココママさん、ほんとに!ありがとうvv
シブでもアップされているので、ココママさんへのコメントはあちらでv








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