『後見人の憂鬱2~番犬古代君のジョギングルート』



店内に入ってきた一人の青年を見て、俺は思わず後ろ向きになる。
幸い青年は、自分に気づくことなく、冷蔵飲料のコーナーに向かった。
読みもしない雑誌を手に取り、背をかがめ顔を隠した。

「ありがとうございました」
会計を済ませた青年は、買ったペットボトルを持ち、店を出るなり走り去った。


「ふう」

――アイツもパトロールしているのか。

実は古代とジョギングの最中に会うのは三度目である。
そのいずれも、ここ、雪の住む街のどこかで彼の姿を見かけたのだった。
古代は一人で、黙々と走っていた。
俺は、遠方からでもその姿を察知すると、なぜか隠れてやり過ごしてきたのだ。

雪の一人暮らしを認め、独立させてから二か月。彼女からの連絡はあるものの
普段どうしているのか気になってしまうのだ。
まさか、自分と同じ行動を古代も……。



妻と二人で様子を見に行った時のことだ。
見慣れない銘柄の米が、デンとキッチンに置かれていて訊ねたことがあった。
『おじさま、それは古代君が大好きなお米なんです……』
食いに来ることがあるのか。アイツが。

とは訊きたくとも訊けずにいる。来るのだろう。だからこそあるのだろう。
決定的な一言は聞きたくないのだ。
そして使いもしなさそうなトレーニング器具までも。
ダンベルは4キロ近くあるものだ。細腕の雪が使う代物ではない。

アイツ、俺に見せつけてるつもりなのか? と腸が煮えくり返りそうになる。
負けてられるかと、俺も自室から何かを持ち込もうとするが、察知した妻に却下された。


このあと雪の部屋に直行するのだろう。汗を掻いたからシャワー貸してくれとかナントカ言いくるめて……。
尻ポケットから携帯を取り出したが、かろうじて掛けるのをやめた。
妻からのメールが届いていたからだ。

『あなた、卵と牛乳買ってきてください』



「……はいはい」
俺は手にしていた雑誌を、元の棚にそっと返すのだった。


**********************************************************************

「桜と自転車」
この日の主役は、もちろん彼女ではない。ペールピンクのスーツ姿がたとえ
どんなに似合っていたとしても。ビデオカメラを回す僕に
「古代君! そんなことやってないで、支度は出来ているの? 靴下まだはいてないでしょ?」
などと、叱り飛ばすほど元気だったとしても。

「古代クン!」
ほら、みろ。チビ姫にまで笑われた。最近カノジョは雪の真似ばかりするのだ。
僕は、雪から渡された下したての靴下を穿きながら、カノジョに「お父さん、だろ?」
と小声で話した。するとカノジョは「じゃあお父さん!」とこれまた母親の声色を
真似て、仁王立ちで僕を見下ろした。


 気を取り直して。
「自転車で行くぞ」と僕は、高らかに宣言をした。
「スーツで自転車漕いで行くの?」雪はどこかまだ納得がいかない様子だった。
「当然! 気持ちいいぞ!」
僕は居間の窓を全開にして、少し肌寒さの残る朝の空気を、部屋の中に取り入れた。
前日までの雨は止んで空はどこまでも真っ青で雲一つない。雪はチビの髪を三つ編みに
しながら、居間の時計を見た。僕は、先手を打って「時間はまだあるよ」と言った。
ステンレスボトルに、温かいお茶を淹れることは、もちろん僕がやった。
弁当だって、半分は僕が詰めたのだ。こんなにも気持ちの良い春の日を体で感じないなんて
絶対に勿体ない。
「お弁当持参でしょ? 車にしない?」
「いや、だめだよ。車だと景色をじっくり楽しめない」
昨日までの雨と、今朝の曇りの予報に、雪は最後まで心配していた。

 友達は、レストランでお祝いしてもらっているだのスーツで自転車漕ぐなんて等と
二人からは、前日に猛反発されたが、起きてみると、雪は鼻歌まじりで弁当を作っていたし
チビだって二台の自転車を磨いたりして、上機嫌だった。弁当だ、自転車だと
張り切っていた僕が、最後にのろのろと起き出してきたものだから、チビからの
お説教が凄かった。
苦笑いしながらそんなチビ姫からのお説教攻撃をかわしつつ、支度をするのも楽しかった。



 本日は晴天なり。ビデオカメラを回す僕は、チビの一挙手一投足を追うのに必死だった。
隣で雪がそんな僕を笑って見ている。初めは緊張して仏頂面だったチビは、
式の後半に他の生徒と歌う頃になると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、大きな口を開けて
元気いっぱいに歌っていた。
僕は、隣の雪に「ああいうところ、誰に似たのかな?」と彼女の脇腹を小突いた。
雪は「もちろん、古代君に決まっているじゃない!」とチビに負けないくらいの
笑顔で笑うのだった。

式が終わると、僕はチビを自転車の後ろに乗せ、スーツの上着が凄い勢いではためくのも
お構いなしで、新緑の中を走った。後ろを走る雪の自転車のかごには
彼女お手製の弁当が三人分。おおよそこんな式に似つかわしくない。
校門を出るまでは、皆不思議そうにこちらを見ていたような気がする。


気持ちのいい汗だ。シャツの脇がじんわり汗ばむくらいに。
チビは学校で教えてもらった歌が気に入ったみたいで、さっきからずっと同じメロディーを
繰り返している。時々後ろの雪と何か話しながら。
小学校から自転車で、約十分。目的の公園にたどり着いた。
平日だからか予想より人出は少なかった。
葉桜になる前で良かった!



「いいかい? 撮るよ」制服姿のチビとスーツ姿の雪をフレームの中にとらえた。
春の光にもまして二人の笑顔が眩しかった。
「深雪、入学おめでとう!」
カメラの予約タイマーをセットして、僕は二人が並んで立つ満開の桜の木の下まで走った。








2014 0407(加筆版) hitomi higasino
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