「最高の贈り物 七月七日、雨」




雪がそこに行きたいと言い出したのは、六月に入ってすぐの頃だった。
結婚してから一年が過ぎようとしている。
古代は相変わらず多忙で、なかなかまとまった休みが取れないでいたが、
なんとかもぎ取った彼の誕生日の前に、一泊でいいからと雪が旅行を提案してきたのだ。

「急だな。そんなに遠くへは行けないけど?」
「うん。遠くはないよ。大丈夫」

前もって調べていたのだろう。雪は、パンフレットとにらめっこしては
ニコニコしたり、天を仰いだりと真剣にスケジュールを立てているらしい。

「古代君の誕生日を、どうしてもそこでお祝いしたくて」
「そんなに無理しないでいいのに。雪と一緒にいるだけで、俺は充分だよ」
「欲のない人ね」
雪はそういって笑った。

地上の何もかもが元通りなのか、確かめたくて。
だから、このパンフレット通りの風景が見られるのか古代君と見てみたかったと雪は話した。
身重の体には階段の上り下りがキツイだろうと古代は言ったが、雪はどうしても
此処に行きたいと譲らなかったのだ。
失くしたものが何なのか、その風景を見ると答えが出るような気がしたから。



生憎と七月七日は小雨模様だった。
一泊用の小さな旅行鞄を宿に預け、車で最寄のパーキングまで二人はやって来た。
傘をさすほど雨はひどくない。二人は車を置いて、目当ての竜宮窟を目指した。
<名勝 竜宮窟への入り口>と書かれた階段を、二人は慎重に降りていく。
ようやく階段を降り切ると、目の前に小さなビーチがあり、その向こうには大海につながる
大きな穴があった。

「静かね」
「ああ」

何百年も前から、ずっとこうだったのだろう。まわりには邪魔するものが見当たらなかった。
観光客も梅雨のこの時期は少なく、今ここにいるのは雪と古代の二人だけだ。
パンフレットにはこうある。

――波の浸食によってできた洞窟で、ぽっかりあいた天井穴からは
天気のよい日に心地よい日射しが降り注ぐ。


上を見上げると空が見える。ぽっかりとそこだけ穴が開いたような天井から雨が落ち、不思議な空間ができていた。
まるで別世界のような静けさだ。小雨の降る音も聞こえない。
異空間に迷い込んだような感覚になって、時の流れも忘れてしまいそうだった。

よく目を凝らすと、岩壁は幾重もの地層からなっていて、所々赤茶けていた。

「……元通りではないんだね?」
雪は古代に、ずっと尋ねてみたかったのだ。

「全てが元通りではない、と言うことだろう。あの戦争の爪痕が残された上で、海が戻った」
「過去は、なかったことには出来ないのね」

雪は、お腹に手をやり愛おしそうに撫でた。

「おいで」

古代は、雪の手を取り、後ろから優しく抱きしめた。

「私は母親になれるのか、今頃になって自信がなくなっちゃった」
「そうなのか?」
「私、お母さんの記憶がないでしょ? 母親の愛情の掛け方がわからない。この子にとって
どうしてあげればいいのか、私にはわからないかもしれない」

「俺だって、父さんのようになれる自信は、あまりないけど……」
「古代君もそうなの?」
「不安はあるよ。だけどこの子を悲しませない。絶対に。それに」
「?」
「君ほど愛情の深い女性はいない。俺はそう思ってるよ。君は失くしたものなんて本当はないんだ」


開けた天井からは、ぽつぽつと小雨が差す。
「雨がひどくならないうちに、上に上がろうか」
「うん。来てよかった。連れてきてくれてありがとう」

マタニティドレスの上から彼女の体温が感じられる。
それは確かに温かかった。ぎゅっと強く抱きしめるかわりに、今は気持ちで彼女を包みたい。
そう思うと、言葉が自然と口をついて出た。

「今の君は、俺の最高の奥さんだし、最高の母親にもなれるよ」
「私ばかりが、いつも古代君にプレゼントを貰ってしまってるわ。今日は古代君の
誕生日なのに」
「特別なものはいらないよ。今の君が最高なんだから」
七月七日、雨。
催涙雨と呼ばれるこの日の雨は、彦星と織姫が逢えない相手を想って流す雨。
一度は離れてしまったことのある二人には、この雨も優しい雨に思えた。

古代は、雪のお腹の上で、彼女の手と自分の手を重ねた。
彼女と、お腹の子を慈しむように。






end


2014 0630 hitomi higasino



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古代君誕生日お祝いSS 2014第一弾v  
地球が全く元通りになっていないのかも;な設定は、自分の妄想です;;

パンフレットの文章は、某るる○から引用しました。行ったことはないのですが、とても美しい場所のようですねv
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