「瞳の先に映るもの」
舵が利かない船にいるようだ。
果てしなく続く闇は全くの無音だ。
視覚と自分の勘だけが頼りだった。
ほとんど奇跡だった。大小散らばったデブリの間を、ゼロがすり抜けていく様は
自分でも神業と思えた。機体に俺の意思が乗り移ったかのように、わき目もふらずに。
もう見つけていたんだ。あとはたどり着くだけだった。

目を閉じると鼻腔に広がる君の匂い。舌先に蘇るその味。
俺はバーニアを吹かして旋回する。
宇宙服さえ邪魔に思えた。俺と雪を遮るものは全て。
彼女を信じてデブリの中を浮遊していた。
もっと早く。もっと近くに。君を感じたいんだ。
全部を君にやるから。君の全部をくれ。
君で満たされていたいんだ。
ヘルメットも分厚い宇宙服も全て取り去って、この手で直に触れさせてくれ。

雪!

雪?

右も左もわからない真っ暗な宇宙の中で、俺は叫んでいた。
彼女は生まれる前の胎児のように、体を丸め、俺との邂逅を待っていた。
俺はあれ以来、抱き合っている間も、ずっと君を探しているような気がする。




瞳の先に映るもの
イラスト:まみ

「おはよう、古代君。モーニングコーヒーを此処に置くわね」
まどろみの中で、雪が俺を呼ぶ。
――ん、あと五分。
「だめよ。久しぶりのいいお天気だから、ベッドシーツ洗うわ。ね? 起きて」
俺の返事を訊くまでもなく、雪はさっさとシーツを体の下から引き下ろした。
「容赦ないな……」
愚痴のような一言をボソっと呟くと、彼女は目を吊り上げて「顔を洗っていらっしゃい!」
と俺から最後の砦である毛布すら持っていこうとした。
「なあ……っ、フィアンセ殿。休みなんだからさ、もうちょっと熱い夜の続きを、だめ?」
彼女の横で目覚めることがこの上なく幸せだ。
全てを与えて、全てを与えられた夜からそんなに経っていないのに、もう君を求めている。
「ダメっ!」
一喝されてしまって、俺はシュンとなった。

この瞳が映すものが全てではないと知っている。
五感で感じる事ができるものが、また全てではない。
これが現実か否か、確かめたくなって、いつもしつこく君を求めてしまうんだ。

俺はうっすらと目を開ける。寒いのに窓が全開だ。雪の仕業だ。
ベッドサイドテーブルに置いたコーヒーカップには、君が残したリップの跡。
俺のマグカップに淹れてから、味見するその癖。俺にバレていないと思ってる?
ピローケースに残るのは、さっきまでの無邪気な時間。
ベッドの片方にまだかすかに雪の温もりがある。
シーツを引っぺがされて、パッドの上で丸くなった。目を閉じていても外の光が眩しい。
もう起きなくては。
外気の冷たさが、鼻の奥まで入り込む。
開け放たれたドアの向こうからは、雪の鼻歌が聞こえてくる。
卵を焼くいい匂いを伴って。

寝ぼけたままで腕を伸ばすと、いつかの青い宇宙服を着た君の腕を掴んでいた。
ああ。そうなのか。
俺は、君にお礼が言いたかった。
君の広い心に、包まれているのは俺の方だ。
ありがとう、生きていてくれて。
「ありがとう……」
「誰に言ってるつもり?」
今度こそ目が覚めた。気づくと、彼女は笑いながら俺の伸ばされた腕を、両手でしっかりと握ってくれていた。

「忘れてたけど、あの時」
「いつの話?」
寝ぼけ眼で夢の話をする俺に、雪は面白がって付き合ってくれている。
「イスカンダルへの航海で、君と再び巡り会えたあの時だよ」
「うん?」
「お礼を言い忘れてた」
「私に?」
「君には何度か伝えたけれど、イスカンダルには言ってない。伝え忘れてた」
「はいはい。長くなりそうだから、私も座って聞こうかな」
雪は濡れていた手をエプロンで拭き、ベッドの縁に腰かけて、俺の髪を弄る。
人差し指に、俺の癖毛を巻きつけて遊んでいるのだろう。
「俺たち、闇の中を彷徨っていたって思っていたけど、実際は違った」
「そうだった?」
「イスカンダルが君を照らしてくれていた。そう思えるんだ」
俺は思い付きのまま言葉に出して、雪に訴えかけた。
「うん」
半分寝言のようなものだ。けれど、雪は理解してくれたようだった。
「……私からも、お礼を言うわ。何度だって言う。見つけてくれてありがとう、古代君。
それから、照らしてくれてありがとう、イスカンダル」
開いた窓から日差しが射し込んで、雪の亜麻色の髪に反射している。
「探している時は、真っ暗闇だと思っていたんだ。ほとんど自分の勘だけが頼りだって。
あの時の君は、祈りながら光り輝いていた。俺が来るのを知っていたみたいに」
確かに雪は俺を待っていた。まるで胎児のように体を丸めた姿勢で、俺と出会えるように祈っていたんだ。
願い星に祈っていた姿と同じだった。
「……あの時だけは、森雪個人になって、強く願っていたの」
「ヤマトの中でも君は何かお祈りしてたけど、あれも、ひょっとして俺のことだった?」
俺は、浅く腰かけていた雪を、ベッドの真ん中まで引き寄せた。
「これからも何度も貴方に逢えますようにって願掛けしていたの。ヤマトをおりてからも
私の事を忘れないでいてほしいって意味を込めて」
「そうか」
「遅くなってしまったけれど、もう一度お礼を言うわ」
深呼吸をして、少し間を置いてから雪は言う。
「イスカンダル、私たちを導いてくれてありがとう。私の願いをきいてくれてありがとう」
彼女はそういうと、どこかに向かってぺこりと頭を下げた。
「あの時――俺は君を絶体見つけて帰ると心に決めていた。雪、あの時、君は何を祈っていた?」
俺は、彼女の細い腰を自分の方に引き寄せて、雪の顔を覗き込んだ。
「”もう一度あなたに逢いたい”よ」
雪のエプロンの端が、濡れていた。
俺は、洗っても落ちない油ジミに鼻先をくっつけて、彼女の言葉を噛みしめた。

「俺は、止まらない。ずっと君の横を飛び続ける」
俺の曖昧な返事に、雪は少し不思議そうな顔をして俺を見た。
「時々、休まないとだめよ。今日みたいに寝坊するのもたまにはいい」

ポスッ。

彼女は俺に枕を押し付けた。











2014 1127 まみXひがしのひとみ
お題  ぶる~む





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